- よしもとばなな
- 1964年生まれ。東京都出身。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年小説「キッチン」で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著作は30カ国以上で翻訳出版されている。近著に「さきちゃんたちの夜」「スナックちどり」「花のベッドでひるねして」などがある。
- http://www.yoshimotobanana.com/
「自分にしかできないこと」を考えながら生きてきました。自分以外の誰にも書けないようなものを書きたいのです。私は常に時代とフィットする作家でありたいですね。トルストイやドストエフスキーを読むと確かに感動するし、いつの時代も人間って変わらないんだなあと思うんですけど、彼らとは生きている時代が違うから身近に感じられないし、一体感が湧きにくいと思うんです。私は今同じ時代を生きている人に、「よしもとさんは今生きているんだな」と感じてほしいですね。
「作家になる」と決めたのは5歳の時です。あまり勉強熱心ではなかったけど読書は好きで、家にある本を片っ端から読みあさっていました。お気に入りは探偵ものやノンフィクション。早く作家になりたくて、子供の頃からずっと小説ばかり書いていました。
あまり深く考えたわけでもないのですが、大学卒業後は就職せずにアルバイトをしながら小説を書く道を選びました。体力に自信がないし、就職してしまうと体力と時間がもったいないと思っていました。早く小説家としてデビューしないといつまでもアルバイトのままだと思い、アルバイトの合間に3カ月ぐらいかけて書いたのが「キッチン」でした。実はそれほど根を詰めて書いた作品じゃないんです。父に読ませた時も反応はイマイチだったし、今回はダメかなと思っていたら海燕という文芸誌で入選して、いきなりヒットしてしまったんですよね。ただ驚くしかありませんでした。
その頃私の頭の中には人生設計があって、アルバイトをしながら地道に小説を書き続け、10作品ぐらい書いた頃にようやくヒットするか、お嫁にでも行ければいいなと思っていました。コツコツ書きためている間にじっくりと人生経験を積むつもりだったんです。だからいきなり一作目でヒットするなんて思わなかったし、学生上がりの私がいきなり高いお店でごちそうになったり、大きなお金の計算をしたりするようになったことに戸惑いもありました。
海燕の編集部の方たちは私を大切に育てると言ってくださいましたが、一カ所にとどまらず他にもいろんな出版社と仕事をするという選択肢もあったんです。でも、それは何の経験もない私がいきなり荒波の中に出ていくようなもの。海燕に身を置いたほうが静かにじっくりと修業を積めるかもしれません。大きな決断を迫られましたが、半ば勢いで荒波に飛び込む道を選んだんですよね。大変でしたが、今となっては良かったと思っています。
この決断で最初に思い描いていた人生設計とはまったく違うものになるなと悟った時が、私にとっての覚悟の瞬間だったと思います。覚悟って、「今した!」というのではなく、気付いた時にはしてしまっていた、というものかもしれません。
私も壁にぶつかったことは数えきれないぐらいたくさんあります。大抵の場合、自分自身にウソを積み重ねて、それが壁になってしまっていたんですよね。
でも、自分で自分を認めてあげれば、意外にどんな大変な事でもラクになるし、大抵の事はどうにかなるんですよ。たとえば「会社の上司が苦手だ」とか「親と衝突した」なんて、よくある愚痴ですが、「私はこの人のことを嫌いだけど仕方ないな」、「親と合わないなら抜け出しちゃえ!」というように自分の気持ちを受け入れて、解放してあげればいいと思います。
今、人生の折り返し地点まで来ています。ここで変えないともう二度と変えられないことってあると思うんです。これまでと何も変えずにいるのは簡単だけど、もっと冒険していく時期なのかもしれません。
昔は自分の思いをストレートに書いていて、分かる人に分かればいいやと思っていましたが、私よりも後を生きていく人たちにも何か役に立つものを残したいと今は思うし、そんな小説を書いていきたいですね。
これからの時代は生きていくのがとても大変になると思うけど、あまり深く考えずに行動してみてください。
Loading...