- 吉田融正
- 東京理科大学経営工学科卒業。日本アイ・ビー・エムに入社し、営業課長、営業部長を経験したのち、1993年に副社長補佐に就任。94年、米国IBMに出向し、コーポレートストラテジー、PCカンパニーで勤務。97年1月に米国シーベル・システムズに入社したのち、同年2月に日本シーベルを設立し、取締役営業本部長に就任。2002年1月にブリッジインターナショナルを設立以後、今に至るまで代表取締役社長を務める。
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父に言われて目指してきた医師への道。浪人中に父が亡くなったことを機に、別の道を歩むことになりました。縁あって入社した外資系企業で経験を積み、機会を得て米国本社へ。そこで出会ったインサイドセールスを始めとした効率的な営業手法に衝撃を受けました。日本企業にも取り入れるべきだと考えました。インサイドセールスという言葉すらまだ聞かれなかった20年前から今に至るまで、会社は順調に成長してきました。新型コロナウイルス禍を受け、初めてインサイドセールスの必要性を感じた企業もあるでしょう。これからは、時代に合わせた会社とそうではない会社との差が、ますます開いていく。私はそう考えています。
子どものころから、サラリーマンの父親に「脳外科医になれ」と言われて育ちました。言われるままに成長し、医学部を受験したものの、残念ながら志望大学は不合格に。中には合格したところもあったのですが、父から「そこはダメだ」と言われ、浪人することになりました。しかし、浪人中の8月、父が突然死去。それを機に父の呪縛が解け、当時学費が1番安いと言われていた東京理科大学に進学することになりました。理科大で所属していた研究室の教授が工場の品質管理の指導教授だった縁で、アイ・ビー・エムという会社を知りました。アイ・ビー・エムが、当時世界で1番大きなコンピューター会社だと言われていた時代のことです。私は営業系の仕事に1番興味があったため、アイ・ビー・エムの営業職の採用試験を受けることに。めでたく内定が決まり、営業からキャリアをスタートさせました。
当時は景気が良かったこともあり、研修に1年半も時間をかけてもらえました。ただ、その後は外資企業の洗礼を浴びます。数字に対する要求が厳しく、「数字が出せないやつは人間じゃない」と言わんばかりの世界で、数字を達成する能力や精神力をかなり鍛えられました。私は、営業の極意は話すことよりも聞くことだと考えていました。話しやすい場づくりやお客様の課題を正しく把握することに務めた結果、正しい提案ができるようになりました。成績は優秀なほうだったと思います。そこから、機会に恵まれ、副社長補佐に就任。副社長について回る中で、役員としての疑似体験を積むことができました。
1年間副社長補佐を務めたあとは、縁あって本社のある米国へ。コーポレートストラテジーという戦略を練る部門に配属されました。非常に得難い経験でした。おぼつかない英語を使って会議で発言したり、米国の営業の効率の良さに驚いたり。また、一緒に働いていた米国人たちが尊敬するのは大企業に勤めている人ではなく、起業して挑戦している人だという現地のカルチャーに感化されました。そうしたこともありいずれは自分も起業をしたいと考えるようになり、起業する際には米国で「これはいい」と実感したインサイドセールスをコア事業としようと考えていました。
資金がなければ起業することもできません。そのためまずは転職をしました。そしてその会社が日本法人を立ち上げた際、取締役営業本部長に就任。その後その会社が上場を果たすことができ、ストックオプションで資金を得たタイミングでブリッジインターナショナルを設立しました。ありがたいことに借り入れの必要なく、設立時から社員を5、6人雇える状態でスタートできたことは幸運でした。
その当時、日本ではインサイドセールスという言葉が知られていなかったため、別の言い回しをしていました。そのような状態でしたが、知り合いの会社に理解してもらい、ぽつぽつと仕事を受注。創業から1年半ほどたった頃に、大手グローバル企業の仕事をすることになり、そこからは大きな苦労もなく順調に成長をし続けてきました。その後、徐々に日本企業との仕事も増加。少子高齢化による労働人口の減少や、雇用の流動化への対応の必要性を実感している大企業を中心に、企業のインサイドセールスのアウトソースや内製化に携わっています。新型コロナウイルス禍で属人化せず非対面で営業活動を行えるインサイドセールスへの注目度は上がりました。とはいえ、日本ではまだまだこれからです。今後、インサイドセールスやデータドリブンなど、マーケットの動きに対応していく会社と変わらないままの会社との差はどんどん広がっていくと見立てています。我々としてもインサードセールスという枠にとどまらず、これまでの知見を生かし「法人営業全領域」を改革していくプロフェッショナルとして業界をけん引していきたいと考えています。
私が大切にしてきたのは、自分の気持ちの持ちようと、殻にこもらないこと。常に前向きでいようと意識をしている人には、困ったときに差し出される手もあるでしょう。殻にこもらず、自分の枠を外していくのも同様ですね。成功する方法を考え続け、見つけ出した答えを信じ、前向きに殻を破って突き進む。これが成功の秘訣なのではないかと思っています。
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