- 山木利満
- 1947年生まれ、神奈川県出身。首都大学東京(旧東京都立大学)法学部卒業後、70年に小田急電鉄入社。広報部長、総務部長兼秘書室長などを経て、2011年代表取締役社長就任、17年から現職。
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最近は企業の不祥事が相次いで露見していますね。組織の体質だとか言われていますが、経営者の心の持ち方次第だと私は思うのです。経営者に必要なのは、自分を律する力ではないでしょうか。人としての道を外れていないか、真摯な経営ができているかを常に自分に問うことが大切です。私の座右の銘は「正心誠意」。自分に偽らず、正しい心を持って何事にも対処すれば、悔いのない人生を送れると信じています。
横浜の下町で生まれ育ち、野球や水泳に明け暮れた子供時代を過ごしました。私が生まれた1947年5月3日は、日本国憲法が施行されたまさにその日。何か運命めいたものを感じて法学部に進学したものの、性に合わない。さらに70年安保闘争でまともに勉強できる環境でもなく、法曹界はあっさり諦めてしまいました。その頃は大阪万博が開催されて日本全体が豊かな生活を楽しむようになってきた時代でもあり、私もレジャー観光開発の仕事に興味を持っていました。就職先に小田急電鉄を選んだのは、当時の大手鉄道会社が次々とレジャー開発やリゾート事業に参入していたからです。 私が配属されたのは、向ヶ丘遊園(2002年に閉園)の営業部門。イベント企画を任されました。来場者のニーズを分析し、予算も含めてイベントを計画し、滞りなく開催する。その一連のプロジェクト管理を若い時に経験できたことは大きな財産です。鉄道事業のように潤沢な予算がつかない小さな事業所でしたが、だからこそ自分たちでイベントを作り上げている実感があって楽しかったですね。
その後いろんな部署で経験を積みましたが、中でも広報課で学んだことが印象に残っています。広報は現場とは違い、会社全体を俯瞰(ふかん)する視点が必要でした。会社が急成長を遂げる中でグループ全体の結束を強めるために、私たち広報が社長や役員の構想を取りまとめて「総合生活サービス産業グループ」というキャッチフレーズを銘打ったこともあります。
また、ちょうどその頃に鉄道事業で複々線の構想が出てきていたのですが、沿線に住む一部の方々の大きな反発もありました。それまで広報の役割はお客様からのご要望やクレーム、マスコミ対応など、守り・受け身の色が濃かったのですが、これからは自ら働きかける「攻め」の姿勢も必要だと考え、沿線地域の方々とのスポーツや文化を通じたコミュニケーションを活発化し、交流を深めていきました。
役員に就任してからは、観光客数が年々減少していた箱根の再生に必死で取り組みましたね。箱根にグループ会社がいくつもあったのですが、バラバラの動きをしていたので小田急箱根ホールディングスという会社を作って足並みをそろえようと試みました。グループ内なら司令系統もシンプルだと思われがちですが、個々の独立性を生かしながら全体を同じ方向に向けてまとめ上げるのは難儀なことでした。それぞれが生きている会社ですからね。それでも、ホールディングス会社にしたことで大型の設備投資ができる体制になり、最終的にはグループだけではなく地元も一体となって箱根を盛り上げようという機運を高めることができたと思っています。
11年に社長に就任すると、複々線を早期に完成させ、魅力ある街づくりをして日本一暮らしやすい沿線を目指そうと宣言しました。それがついに完成したのが今年(18年)の3月です。構想から半世紀、着工から30年の一大プロジェクトでした。これによって混雑率の解消とスピードアップが実現し、39カ所の踏切を廃止したことで街の回遊性もずっと良くなりました。私が掲げた「日本一暮らしやすい沿線」に着実に近づいているのを感じます。これからもグループ全体で、敷居は高くないけれども上質なサービスを生活の様々なシーンで提供して、お客様に感動を与えたいですね。それが社会の中での私たちの使命だと考えています。
私たちは真摯・進取・融和という3つの行動指針を掲げています。これをベースにしながら、若い人たちにはどんどん新しいことに挑戦してほしいと思いますね。社会全体の成長スピードが鈍っている時世ですが、常に前向きに仕事に取り組み、チャレンジする気概を持っていてください。
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