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山井太
1959年生まれ、新潟県出身。明治大学商学部を卒業後、外資系商社に就職。86年、家業のヤマコウに転職。 キャンプ用品の開発を手掛け日本のアウトドアシーンにキャンプブームをもたらした。96年に代表取締役社長に就任。社名をスノーピークに変更する。
https://www.snowpeak.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2016年11月 取材時点のものです。

INTERVIEW

キャンプをしていると、身体のリズムが自然とシンクロする瞬間があるんです。日の出とともに目覚め、日没とともに眠気がやってくるようになります。虫が鳴き始めたり花が咲いたりといった普段なら見過ごしてしまいそうな変化にも気づいて、一日ごとに季節が移ろっていくのを感じることができます。文明が発達した現代社会では、人が本来持つそうした感性は阻まれてしまいますが、それを癒し、回復させるのが私たちスノーピークの存在理由だと思っています。自然と人とをつなぐ役割でありたいですね。それが私たちのミッション「Snow Peak Way」であり、企業文化として浸透しています。

マイナーだったキャンプをアウトドアシーンの一大ブームに

山井太

アウトドア用品をつくる家に生まれ育ちました。父はロッククライマーで、家にはザイルやピッケルがごろごろありました。そんな環境に幼い頃から慣れ親しんでいたので、私も大人になったら登山をするんだと当然のように思っていましたね。ところが私は幼いころから怖いもの知らずで危ないことばかりして遊んでいたので、父に「お前のような性格では山登りなんかさせられない」と早々に禁止されてしまったんです。登山の代わりに父が教えてくれたのがキャンプでした。

大学進学と同時に上京し、卒業後はハイブランドを扱う外資系商社に就職して営業の仕事をしていました。3年経った頃、父から突然「帰って家業を手伝え」と連絡があったんです。当時の仕事に充実感はあったものの、長男で幼い頃からいつかは継ぐものと思っていたし、自然に飢えた生活をしていたこともあり、今抱えている仕事を片付けたら帰ると父に伝えました。

実家に戻ったのはそれから1年半後です。当時ヤマコウという社名で、売り上げの大半は釣り具であとは登山用品が少しだけでした。そこで自分の好きなことを仕事にしたい、とキャンプの新規事業を立ち上げました。私ひとりで1年半の間に100アイテムのキャンプ用品を作り、すべての製品に永久保証を付けました。私自身がキャンプをしていてなにより嫌なことはものが壊れることだったので、耐久性に優れた製品を作りたかったんです。その分コストも掛かりました。たとえば普通のテントは1万円程度で買えますが、私のように年間数十日もキャンプをするようなヘビーユーザーの使用にも耐える品質のものを作ろうと思ったら価格は168,000円になりました。それまで、キャンプといえば簡易なテントの中でカップラーメンをすすって旅行を安く済ませる手段という位置づけだったので、もっとキャンプ自体の質を高めてアウトドアの新ジャンルとして確立させたかったのです。2、3年後には売り上げが大きく伸び、登山一辺倒だった日本のアウトドアシーンにキャンプブームを呼び込むことに成功しました。

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愛用者から「高すぎる」「お店に製品がない」の声

96年、社長に就任し社名をスノーピークに改めました。ところがはやり廃りの激しいアウトドア業界でキャンプブームも例外なく下火になり、売り上げは落ちる一方。社長としてのスタートは厳しいものでした。それまで問屋や小売店とは取引があっても、実際にユーザーの声を聞く機会がなかったのでキャンプイベント『Snow Peak Way』を始めました。その時いただいた意見の大半は「高すぎる」「お店に製品がない」というもの。同時に、私たちの製品のファンである「スノーピーカー」が多数いてくださることも知りました。以降、問屋との取引をやめ、一商圏一店舗にするために販売店を以前の四分の一に絞り、一店舗当たりの品ぞろえを充実させたんです。流通コストを削減することで製品の価格を下げることもできました。もちろん社内外で反発がありましたが、ユーザーであるスノーピーカーの方々のニーズに応えることが最優先でした。増収増益が実現したのはそこからですね。

私たちの原点は、自分たちもユーザーであるということ。キャンプが大好きで、どんな製品なら心地よくキャンプの時間を過ごせるかという視点で製品を作っています。だからこそスノーピーカーの皆さんに共感していただけるのだと思います。 『Snow Peak Way』は今では1年間に全国10会場ほど開催しています。私は毎回参加していますし、社員たちも部署に関係なくスタッフとして参加します。今後はキャンプをしたことがない人にもキャンプの素晴らしさを知ってもらうようなきっかけを作っていきたいですね。私は好きなことを仕事にして本当に良かったと思っています。若者の皆さんにも、好きなことを仕事にして自分の手で未来を切り開いてほしいですね。一人ひとりが好きなことをすることで、社会が良くなればいいと思います。

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