profile
山口寛
1977年生まれ。兵庫県出身。大学卒業後、電気工事会社に入社。早くから頭角を現し、その経験を糧に家業を継ぐことを決意。2009年に山口電気工事株式会社に入社。18年に代表取締役に就任。現在に至る。
https://yamaguchi-d-k.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2020年2月 取材時点のものです。

INTERVIEW

今、世の中が疲弊しているのを感じます。自分でコントロールできないことに対して悲観的になりすぎているのではないでしょうか。変えられないものにとらわれるのではなく、自ら変えられるものにもっとフォーカスしたほうがいいと思います。未来は自分たちが作っていくんだという気持ちを忘れなければ、より良い人生を歩めるはずです。一緒に未来を作っていきましょう。

家業を継ぐつもりではなかった

山口寛

子供の頃は自宅の階下が事務所で、祖父が社長をしていました。作業着姿の従業員が出入りする光景は覚えていますが、電気工事がどんな仕事なのか知らなかったし気に留めることもありませんでした。

母が病気で入院していた時期にたびたび自炊していたので将来は料理人を目指そうと思ったのですが、父には「そんなものは趣味でやれ」と一蹴されてしまいました。進路を悩んでいると、塾の先生に「世の中の大半の人は就職してサラリーマンになる。でも君には企業のトップになれるチャンスがある」と言っていただきました。家業なんて何の興味もなかったのに、その一言で電気の道に進もうと決めました。負けず嫌いな性分なので、トップという響きにピンときたのかもしれません。

大学の電気科で不真面目な学生生活を送りながらもどうにか卒業し、家業ではなく阪神電鉄系列の電気工事会社に就職して現場監督として働きました。昔から「人の懐に入り込むのがうまい」と評されることが多く、職場でも年輩の職人さんに可愛がられ、飲みにも連れて行ってもらいました。一方、負けず嫌いを隠せず、同期や年齢の近い先輩にはライバル心をむき出しにして時には喧嘩もしました。自分にはプレッシャーをかけ、必要な資格を誰よりも早く取得し、難しい案件にも積極的に挑戦したのが良かったのか、スピード出世を果たしました。仕事はハードで家に帰れない日もありましたが、ひとつの建物をみんなで作り上げるのは楽しかったですね。初めて一人で現場を任され、建物に電気が灯った瞬間は、まるで命が吹き込まれたようで感激したものです。電気が面白いと心から思えた瞬間でした。

就職して7~8年経った頃、父に「うちに入らないか」と言われました。父とは仕事の話をほとんどしないので、家業のことはまったく意識しなくなっていました。急な打診に戸惑いましたが、塾の先生が「企業のトップになれるチャンスがある」と言ってくださったことを思い出し、一年後に実家に戻る事を決意しました。

  • 山口寛
  • 山口寛

組織を「文鎮型」から「ピラミッド型」へ

私は会社のことを何も分かっていませんでしたし、社員の間でも私のことを知る人はいません。突然社長の息子が入って来て、さぞ扱いにくかったと思います。実際に働いてみて、なんて閉鎖的な会社なのだろうとため息が出ました。「こういうことをしたい」と提案しても「今のままでいいじゃない」という反応しか返ってこないのです。業績は悪くなかったので、変化の必要性を感じていなかったのでしょう。みんな自分のテリトリーにしか興味がないように見えました。そして、社長である父が旗振りをしないと何も動かない会社だと思いました。もう辞めようかなと何度も思いましたが、ある研修で「他人と過去は変えられないけれど自分と未来は変えられる」という言葉に出会い、意識を変えていきました。社長や社員たちと向き合い、相手のことを知る努力から始めました。

社長がいないと動けない組織だと思っていましたが、社員を見ていると個々としてもチームとしても素晴らしい技術力を持っていることに気がついたんです。やり方を変えればこの会社はもっと伸びると確信し、社長が指示を出す「文鎮型」から「ピラミッド型」の組織に変えようと動き出しました。「立場が人を育てる」と言いますが、幹部社員を抜てきして役割を与えたことで社員たちにも自覚が芽生え、成長してくれました。ここが会社にとって大きな変わり目になったと思います。私は当時専務でしたが、数年後の社長交代を見据えて父の仕事を次々にかっさらっていきました。

社長就任後は、私が前職で手掛けていた一般の電設工事の事業を新しく立ち上げました。それもようやく軌道に乗ったところです。これからは従来の電気工事業の枠を超えて、「エネルギー」という大きな枠の中で様々な事業に挑戦していければと思っています。社長に就任して以来、会社や社員のことを今まで以上に好きになりました。「何をやるか」よりも「誰とやるか」が大切です。チームワークが生きる環境を整えていくのが私の役割だと思っています。

社員たちにはいつも「会社は社員一人ひとりの夢の集合体」だと話しています。いろんなことに挑戦するチャンスを与えて「やってみたい」をかなえる組織を作っていきます。

ページの先頭へ

Loading...