- 八木雄三
- 1941年10月26日兵庫県生まれ。米国ミシガン州立大学経営大学院MBA取得。64年に八木通商入社。71年に欧米からのファッション製品輸入事業を社内創業。86年から現職。2004年に仏国家功労勲章オフィシエ、11年に英名誉大英勲章OBE、16年に伊共和国国家功労勲章グランデ・ウッフィチャーレを受章。日本繊維輸入組合副理事長、日本繊維輸出組合副理事長、および社団法人大阪貿易協会会長。
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私が欧州からのファッション輸入に目を向けたのは1970年代のことです。当時1971年のニクソンショックにより、為替が急激で大幅に円高となり、会社が生業とする輸出業で利益が出なくなり、困難に直面していました。出張でミラノにいる時、街角のショーウィンドウを彩る上質で美しいファッション製品の数々に思わず目を奪われ、高度成長期の日本を見ていると近い将来のこのマーケットの可能性を確信しました。散々苦悩した末、思い切って180度大転換して、ファンション輸入を社内創業のような形で始めました。今思えばかなり無鉄砲でしたが。「できる」と思って挑戦したことがその後の結果につながったと思います。
子供の頃から活発な性格で、気になることや知りたいことがあれば納得いくまで探求しました。両親の勧めもあり、米国の大学院に留学しました。勉強は大変でしたが、様々な国や地域からの留学生と語り合い親交を深めたのは良い思い出です。現地の複数の大手企業から内定をもらい、すっかり就職する気でいましたが、卒業式に日本から父が出席し、その話を切り出したところ強く説得され、家業の八木通商で働くことになりました。
当時は繊維輸出がメインの小さな会社だったので、市場開拓のために一人で繊維のサンプルを詰め込んだトランクを何個も抱えて世界中を国際行商して回りました。先進国にも行きましたがむしろ、中東や中米、アフリカのような社会情勢が不安定な地域を中心に数年にわたり回り続けました。宿と呼べるような場所がなく野宿をしたこともありますし、何日もまともな水が飲めなかったこともありましたが、自力で乗り切ることで心身ともにずいぶん鍛えられ、多少のことでは動じなくなりました。ビジネススクールではロジカルな考え方を学びましたが、実際の商談は人間と人間のぶつかり合いです。若い時期にレバノン商人やシリア商人、印僑、華僑などの「強者(つわもの)」商人たちと渡り合う経験ができたおかげで、交渉力や自信も身に付きました。一緒に食事をするぐらい親しくなった商人も各国にいます。
数年で世界中に輸出ルートを広げましたが、70年代に入っての急激な円高で、このまま繊維輸出を続けても利益が出ないと危機感を覚えました。そこでミラノにオフィスを立ち上げ、繊維輸出業から高級アパレル輸入業に拡張を図ったのです。ミラノに伝手(つて)もなければアパレル輸入の経験もありません。リスクを背負うことは分かっていましたが、現状を変えるには行動を起こすしかないと考えました。
取引先が増えてくるとパリとニューヨークにもオフィスを構え、仕入れたブランドの製品を日本の百貨店や小売店に地道に売り込んでいきました。90年代にはモンクレール社と大きな金額で長期の契約を結び、マッキントッシュに資本参加し、のちに子会社化しました。ただ売り買いをするのではなく、日本の顧客のニーズに合わせてプロダクトをアレンジするノウハウを何十年もかけて構築しました。ファッションビジネスのキーは、世界の中のライフスタイルの変化をいち早く察知することです。社員たちにも若いうちから海外駐在の機会を与え、変化を見逃さない観察眼を養う教育に力を入れてきました。新しいライフスタイルをとらえて戦略を組み立てますが、これを一番最初からきっちりとしたマーケティングプログラムを作ることで、今までにない付加価値のある製品を市場に送り出すのが私たちの手法です。上質でデザイン性やブランド力が高く、持つ人が10年、20年と喜んで使いたくなるようなプロダクトにこだわり続けたいと思います。
祖業の繊維輸出も継続しています。欧州のラグジュアリーブランド、オートクチュール向けに、日本の独自の技術を駆使した上質なデニム生地やベルベット生地などを輸出しています。ブランドの意向と日本の生産者の特長をすり合わせながら、工業生産ではできない唯一無二の生地を手掛けています。
いずれ、欧州を拠点に様々なブランドを束ねたグループ会社を作りたいと考えています。今まで日本や中国の複数の商社が挑戦し、本当の意味で成功したところはありません。簡単なことではありませんが、誰も成し遂げていないことに挑戦する風土がこの会社にはあります。小さくてもいいので独自の魅力を放つユニークなファッションコングロマリット(複合企業体)を実現したいです。国内でも海外でも、成功を収めようと思ったら競争は避けられません。負けないためにも、なるべく若いうちに自分の強みや得意なことを見つけて磨きをかけることが大切です。日本人はとかく周囲の状況に流されがちです。若者のみなさんには物事の判断基準となる「自分の物差し」をしっかり持ってほしいと思います。そして、その物差しを磨く日々の努力もどうか忘れないでください。高い志を持って目標に向かうみなさんを応援しています。
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