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渡部功治
1972年生まれ、愛媛県出身。05年、中央建設入社。08年に代表取締役就任。11年に東京本社、19年に東北支店を開設。21年、中央建設と櫻木管工をグループに迎え綱ホールディングスを設立、代表取締役グループCEOに就任。19年、「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」の施工で第59回BCS賞受賞。(日建連主催)
https://tsuna953-hd.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2021年12月 取材時点のものです。

INTERVIEW

「綱ホールディングス」の社名は、大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)や羅生門の鬼を退治した伝説で知られる平安時代中期の武将源綱(みなもとのつな)からいただきました。源綱は光源氏のモデルと言われる源融(みなもとのとおる)の子孫で別名を渡辺綱(わたなべのつな)といい、全国で渡辺姓を名乗った最初の人物といわれております。昔の人の力強さ、生きるエネルギーを未来へつないでいきたいという思いを込めています。

東京進出後着実に実績を重ね事業を拡大

渡部功治

公共事業の縮小や人口減少による人手不足で地方での事業継続に危機感を抱き新たな活路を切り開くために東京に進出したのが2010年でした。単身で上京し、伝手もコネもない状況で15坪の小さな事務所に社員3人という規模の東京支店を開設したのが2012年。その後も血のにじむような必死の努力を重ねるなか、偶然の出会いによるご縁からある著名な方に仕事を依頼されました。縁もゆかりもない私を信用していただき自宅の大規模リフォームを任せてくださったのです。高齢の方だったので敷居に段差をなくし、手すりを無償で取り付けるなど「この方がもし自分の親だったら」と自身の立場に置き換えながら精一杯施工させていただきました。とても喜んでくださったことは今でも忘れません。仕事とは常にお客様目線、お客様指向であるべきなんだなと、そのとき改めて確信しました。

このころになると経験豊富な技術者たちが集まってくれるようになり、2016年には日建連主催の第59回BCS賞を受賞した「新豊洲 Brilliaランニングスタジアム」を元請けで施工。その実力が注目され受注する工事が倍増し、2017年には港区芝にオフィスを移転、東京本社として組織替えし経営規模を拡大してきました。10年前に15坪だった事務所は10倍以上の158坪となり、現在さらに340坪まで増床しております。そして昨年、新たなステージとして外注先の中でもブラックボックス化が顕著だった給排水衛生空調設備工事を営む株式会社櫻木管工をグループに迎え、ホールディングカンパニー「綱ホールディングス株式会社」を設立しました。専門工種を内製化することにより間接コストを大幅に削減することができ、価格競争面でも有利になりました。今後は電気設備や、仮設足場などの各種専門工事会社もグループに加えよりコスト競争力が高くスピーディーな自社一貫体制グループを目指してまいります。

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「総合建設不動産開発グループ」として新たなステージへ

さらには今年から不動産事業にも着手しています。「株式会社エネフ」という不動産仲介など不動産全般を扱う会社を設立し、綱ホールディングスと連携させることにより企画開発から建物の建設・販売・運用に至るまで、プロジェクトにかかわるすべての仕事が一気通貫でできるようになりました。自社開発案件にも注力して「収支が合わない」と取り残されている不動産を動かしていきたいと思っております。そしてデベロップメント機能とゼネコン機能を併せ持つ「総合建設不動産開発グループ」として事業を展開し、「まずは綱ホールディングスに相談してみよう」と多くの方に必要とされ、頼ってもらえるような組織に成長していきたいと思います。

ホールディングスによる組織の多様化に伴い円滑なコミュニケーションの構築が重要課題だと考えたキーワードが「未来につなぐリレーワーク」。業務遂行の合言葉にしています。社内、関係先、お客様、かかわるすべての相手を尊重し、価値観を共有することで情報伝達の正確さ、スピード感、チームワークを強化していきたいと考えて私が作った言葉です。

具体的な例として社員間のメールに緊急度・重要度を3段階に識別した「リレーワークマーク」を使用。緊急時は誰でも余裕がなく、表現がきつくなったり丁重さがなくなったりしがちですが、まずマークで状況を伝え、本文はできるだけ柔らかい言葉や表現にするよう心掛けました。ささいなことのようですが、社内でお互いを思いやる良いムードが醸成され、業務の効率も格段に上がったのを実感しています。

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