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上田輝久
1957年生まれ、山口県出身。京都大学院工学研究科修了後、82年に島津製作所に就職。分析計測事業部長などを経て15年に社長に就任。
https://www.shimadzu.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2016年11月 取材時点のものです。

INTERVIEW

お客様にお叱りを受けた回数は私が一番多いと思います。でも叱られるということは、期待されているということでもあるんですよね。どんな状況でも、期待にきちんと応えたいという思いを持ち続けてきたことで、お客様との信頼関係を築きあげることができたと思っています。多くのお客様が、単に私たちの製品がほしいのではなく、問題を解決する能力に期待していると言ってくださっています。時代とともにお客様のニーズも変化していくので、これからもその期待に誠実に応え続けていきます。

入社直後の実験室はまるで物置

上田輝久

小学生の時は柔道、中学では水泳、高校と大学はサッカーと、スポーツに熱中した学生時代を過ごしました。勉強もそこそこでしたが、今思えば、理科の実験で色が変わったり、ものが燃えたりする現象を見るのは昔から好きでしたね。大学に入ってもそんなに勉強熱心ではなかったのですが、4年生の時に、液体クロマトグラフィーといって物質を成分ごとに分離する技術に興味が出てきて、大学院まで進みました。その時、研究室に島津製作所の人が出入りしていたので、大学で研究していたようなことを島津でもできると思って就職しようと決めたんです。

ところが、入社してみると、思っていたような設備は何もなかったんですね。実験室は物置のように雑然としていて、そこにあった乾燥機のさびを磨いて修理をしたというのが私が最初に取り掛かった仕事でした。仕事の環境を整えるところからのスタートでしたね。

その後、カンザス大学と共同で立ち上げたラボのメンバーに選ばれ、今の私たちの主力商品であるハードウェアの開発に携わるようになったのが大きな転機でした。おもしろいとか楽しいとかというより大変だった記憶ばかりです。装置の故障などトラブルも何度もありましたし、製品を作り上げていく中で次々と要望やクレームが噴出しましたが、その都度できるだけ真摯に対応するように心掛けました。その姿を見て現地の社員たちも信頼を寄せてくれますし、お客様も喜んでくださるんですよね。顧客ニーズに必死で応え続けた結果、事業を大きくする原動力になっていたということに後で気がつきました。 前社長(現会長)から社長就任を打診されたのは2年前(2015年)のことです。積極的になりたいと思っていたわけではありませんが、期待されるならそれに応えたかったですし、期待以上のことをやろうと腹をくくりました。

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技術・感性・想像(創造)力を磨き続ける

社長に就任して、まずは国内外の拠点をすべて回り現場の社員と話をしたうえで、今後の戦略の大まかな方向性を打ち出していこうと決めました。それまで分析事業一筋で他の事業のことは知らなかったので、うちにはどんな人達がいてそれぞれの部門や事業部でどんなことを考えているのかを理解する機会ができてよかったと思います。特に海外の社員たちが前向きでアグレッシブに仕事に取り組んでいるのが印象的でした。このパワーを事業に有効に生かしていきたいと思いましたね。それぞれの現場と議論を深め、認識を共有したことで、今ようやく手応えを感じ始めたところです。

私たちは、三つの「磨く」を大切にしています。一つは様々なニーズに対応するための「技術」、次にお客様の思いをくみ取りそれ以上のことを実現する「感性」、そして技術開発のシナリオを思い描く「想像(創造)力」です。

今後も私たちが培ってきた技術と経験を生かして、様々な分野の社会問題に取り組んでいきたいですね。特に”人と地球の健康”は全世界共通の課題です。医療の発達で人の寿命は飛躍的に延びましたが、ただ長生きするのではなく最後まで健康に過ごすためにも病気を未然に防げたらいいですよね。また、地球の健康を維持するためにはクリーンで安定したエネルギーで世界中の人の生活を支える必要があります。色々な分野で私たちの技術力や問題解決能力が期待されていますが、これまで通り一つひとつの課題と真摯に向き合って応えていこうと思っています。

これからの日本を支える若い人たちにも社内外、そして国内外でたくさんのことを経験してほしいですね。様々な問題に直面すると思いますが、その都度向き合って丁寧に取り組めば必ず解決しますし、後で必ず自分に返ってくると思います。今辛い状況にあるとしても、必ずいい経験だったと言える日が来るので、自信を持って色々なことに挑戦してください。

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