- 辻口博啓
- 1967年3月24日生まれ、石川県出身。和菓子屋の長男として生まれる。18歳から都内およびフランスで修業を重ねる。クープ・ド・モンドをはじめ日本代表として5度の世界大会に出場し、3度の優勝経験をもつ。モンサンクレールをはじめ、コンセプトの異なる13ブランドを展開。「スイーツで人々に笑顔を」をモットーに、各店舗の運営、菓子製造のほか、講演や著書出版など幅広く活動。
- https://www.super-sweets.co.jp/
I実家の和菓子屋が倒産した時は、やはり人と同じような生き方はできないと思いましたし、人の2、3倍働かなければ追いつけないという気持ちを持っていました。いろんなものを失うことによって、自分のなかに一つの覚悟を刻んでいたんだと思います。いつも大会直前は、一切人の話を聞かないですね。フードをかぶって、人と目を合わせません。始めから終わりまでを、頭の中でイメージするんです。集中力を極限まで高めて、本番で出し切るのが私のスタイルなんですよね。
実家が「紅屋」という和菓子屋でして、三人兄弟の長男だったので、本来ならば私が三代目に当たるんですよ。パティシエを意識したきっかけは、友達のバースデーパーティーでした。その時に初めて出会ったショートケーキ。その美味しさに感動して、この感動を皆に伝えるような仕事がしたいなと思うようになりました。空気を入れながらふんわりと作るのが洋菓子、空気を抜き去りながら煮詰めて作るのが和菓子。相反するスイーツを食べてしまったわけですから、感動がより深いわけですよね。
18歳の頃に実家が倒産しまして、その時を境に自分自身が覚醒していったように思います。自分の運命を恨みもしましたけど…。でも、そんなことを考えている間もなく、やらなければいけないことはたくさんありましたので。何より技術を身に付けていくことが必要だったんですよね。ですから、辛いと思ったことは一度もありません。
初めて優勝した95年のクープ・ド・フランスインターナショナル杯。28歳最年少での優勝だったんですが、私の気持ちは元々「絶対に優勝だ」という強いものでした。ですから、その時に作ったデザートの名前も「セ・ラ・ヴィ(これが人生)」でしたし。
東京・自由が丘に「モンサンクレール」をオープンした時、当初のオーナーは6万枚のチラシを作って大々的に広報をしようとしていたんですが、私の意見は「ノー」でした。お菓子を作れるのは私しかしませんし、自分の感性をしっかりと伝えたうえで、お店を広めたかったんです。ですから少量でもよいから売っていくことに専念しました。結果、半年で2000万円ほどの赤字に。でも、それは意味のある赤字だと思っていたんですよね。その半年間でやるべきことも分かりましたし、部下を育てることもできましたし、私自身も新しい注文のなかでおいしいものを作りだす仕組みを作り出していけましたし……。
そして、15、6年の歳月をかけて、紅屋復活の兆しが見えてきたんです。「和スイーツ」を一つのキーワードとして、和ラスクを主力商品として出していくことにしました。コンセプトが違っていても、お菓子は作れるということを実体験として感じることができました。もっとお菓子というものの可能性をより深く追求していくことで、さらにコンテンツは生まれていくんです。
結局私はやっぱりお菓子が好きなんですよね。常に研究するのが好きなんです。だから、そういう専門的なものをより深く掘り下げて、自分自身が出しているお菓子のなかでも、まだまだ可能性は広げられるものなんです。2012年4月には製菓専門学校をオープンしたんですが、時代も変われば、お客様のニーズも変わるし、お菓子の作り方そのものをも変わっていく。自分のノウハウを学校に生かして、そして、次の新しいパティシエを育成していくことが時代の流れに繋(つな)がっていくのかなと思っていますね。
若い皆さんにはもっと早いうちに海外に出て、俯瞰(ふかん)して日本を見られるような視点を養っていただきたいですね。人に会わなければ良いものも生まれませんし、人に会うことによって見えてくる世界というのが必ずあります。その世界に早く気づいて、世界に飛び出してほしいと思います。
Loading...