- 手塚宣弥
- 1975年生まれ、栃木県出身。98年地元の大学を卒業後、外資系コネクターメーカーに技術職として就職。製品設計・開発に従事後、2004年父が経営するマルコー電装に転職。同年12月代表取締役に就任。20年12月後継者不在にて、事業承継を模索していた宇都宮通信工業とのM&Aを経て、21年6月宇都宮通信工業3代目代表取締役に就任。2社の創業者の思いを胸に代表を兼務する。
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私の父が創業したマルコー電装の社名は、父正幸、母幸子の名前に共通する「幸」の字をマルで囲むイメージから付けられました。この社名を体現することが私の経営者としての指標でもあります。私と会社にかかわるすべての方を幸せにすることがゴールだと思っています。今、会社には身内を紹介して家族ぐるみで働いてくれている従業員もたくさんいます。このようなことが一番ありがたいですし、うれしく思います。
私が7才の時に父が基板実装を手がける会社を創業し、母と二人で切り盛りしていました。仕事が増えてくると内職を近隣の主婦の方々にお願いするようになり、私も小学生の頃から製品の持ち運びによく借り出されました。
事業は数年でコネクター(電子接続部品)の組立・検査へと転換していきました。私が中学生の頃には、アルバイト代をもらって父と一緒に得意先の工場へ納品に行くようになっていました。父には「この工場からすべての仕事をもらっている。絶対に失礼があってはならない」と厳しく言われ、あいさつや礼儀にずいぶん気を配っていたのを覚えています。当時、県内には同じような事業をしている会社が4社あり、うちはその中で3番目の受注量だということも父に教わりました。仕事の引き取り量が少ない日が続くと、不安を感じたものでした。
大学の理工学部を卒業すると、神奈川県の外資系コネクターメーカーに技術職として就職しました。図らずも実家の得意先の本社だったので、両社に迷惑が掛かるのではないかと心配しましたが、不況に強い業界でしたし、父も背中を押してくれました。就職して7年目に転機が訪れました。父にがんが見つかり、余命半年であることを告げられたのです。今まで決して弱いところを見せなかった父に初めて頼られたことで、実家に戻って会社を継ぐ決意をしました。その3カ月後に父が他界し早くも社長のバトンを受け取ることになりましたが、得意先は前職の地方工場でもあったため取り扱い製品のこともよく把握しており、比較的スムーズに引き継ぐことができたと思います。その頃、得意先工場の取引先は6社に増え、うちは4番手でした。中学生の頃は仕事の受注量に一喜一憂することしかできませんでしたが、父亡き今は私が会社を引っ張らなくてはいけません。受注量増加に向けて家族や従業員と必死に汗を流し、4年で1番手に躍り出ることができました。しかしその喜びもつかの間、リーマン・ショックの煽りを受けて、得意先の工場が閉鎖されることになったのです。
私たちは受注をその一社に依存していたので、すべての仕事を失い従業員の解雇を余儀なくされてしまいました。まさに青天の霹靂(へきれき)で、この世に「絶対」はなく、幸せが永遠に続くことはないのだと痛感しました。残されたのは私と姉の二人だけ。途方に暮れましたが、閉鎖した工場から機械設備を搬出する仕事をいただいたりしながら、どうにか生き延びました。やむなく解雇した従業員たちが「仕事があればまた戻りたい」と連絡をくれたこと、近く子どもが生まれることだけが前を向くモチベーションになっていました。
その後、海外生産にシフトした製品の品質検査の仕事をいただくようになったことで、状況は再び好転し始めました。復帰を希望した従業員全員を戻すことを目標に、仕事の確保に奔走しました。納品のために丸一日かけて運転することもありました。少し無茶な納期も快諾し、実績を重ねていきました。複数のお客様から定期的にお仕事をいただくようになり、今では従業員は70名ほどに増えました。ここまで、私ひとりでできたことは何もなく、周囲に支えられてきたことを実感しています。今幸せだからこそ、この幸せを想定外の出来事から守る手段を持たなくてはいけません。そのための一手として、今年6月にM&Aで同じコネクターを取り扱う宇都宮通信工業と一緒になりました。宇都宮通信工業はコネクターを用いたハーネス製造、マルコー電装は、コネクタ自体の検査、組立、事業内容は異なりますが、両社とも「人の力」がかなめであるところは同じです。ものづくりの自動化や画像検査の技術が進む中、自動化ラインでは対応できない小ロット品等の人の手でしかできない組立・製造・検査ニーズにも応えるのが両社共通の強みです。人の力を生かして、どんな時代にもお客様に必要とされる強い企業づくりをしていきたいと思います。
時間だけは、人に平等です。一日を振り返った時に、「手を抜いたな、暇だったな」と思うことがないように過ごしたいと常々思っています。若いみなさんも1分1秒を何に使うかが人生の道しるべを決めるカギになると思います。自分の可能性を信じ、思い立ったらまず行動してください。