profile
田原総一朗
1934年4月15日生まれ、滋賀県出身。1960年、岩波映画製作所入社、 1964年東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに転身。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』で テレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか、「大隈塾」塾頭も務める。『朝まで生テレビ!』の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。
https://www.taharasoichiro.com/
※本サイトに掲載している情報は2012年4月 取材時点のものです。

INTERVIEW

覚悟は毎日してますよ。「朝まで生テレビ」なんて、正に毎回毎回覚悟の連続です。実際番組が始まる前なんて、1年続けば良い方かなと思っていましたから。でも、結局26年ですよね。今。別に続けようと思っているわけではないんです。毎回覚悟をしているだけ。 私が思うに、理屈というのはだいたい後付けの場合が多いんですよね。原点が何か考えてみると、やはり小学5年生の時の終戦でしょうね。小学5年生の夏休みまでは、この戦争は正しい戦争だと言われていたんです。「君たちは天皇陛下のために戦って、命を捨てろ。君らの寿命は20歳で終わりだ」と。

真実とは何なのか。

田原総一朗

そして、小学5年生の夏休みに迎えた終戦。それ以来、先生が言うことがガラリと一変しました。「あの戦争は悪い戦争だった。やってはならない戦争だったんだ」と言われ、もし次に戦争が始まる時には体を張って止めなければならないことを教わりました。私たちは素直だったので、もちろんそう信じ込んでいました。さらに、高校に入ると今度は、朝鮮戦争が開戦。小学校の時に戦争が始まったら、体を張って止めろと言われていたので「朝鮮戦争反対!」と言ってみたら、「何を言っているんだ!」と先生に怒られたんです。

ステージが上がるごとに、先生が言うことが変わっていきました。世の中の偉い人が言うことは、大体間違っているんだと思うようになったのは、このようなことがあってからですね。信じたら損だ、と。それがジャーナリストになったきっかけではないでしょうか。

ジャーナリストになろうと思ってからは、さまざまな試験を受けたものの、全部落ちてしまいました。結果、11回目に受けた岩波映画製作所に入社し、その流れで岩波映画製作所からテレビ東京に転職。ドキュメンタリー作りに携わるようになったのは、この頃からでした。志願してジャズ・ピアニストの山下洋輔氏のドキュメンタリーを撮影することになったんですが、「どういう状態で弾きたいか?」と彼に聞くと、「ピアノを弾きながら死にたい」という答えが返ってきたんです。では、それをやろうと計画をしたんですが、もちろんうまくはいきませんでした(笑)

こんなことをきっかけに、「テレビはどこまでできるのか?」と真剣に考えるようになったんですよね。もし、あの時に山下氏が亡くなっていたら、私は殺人の共犯でした。でも、そんなことは承知の上。この国のタブーって何だろうということを何度も考えて、何でもやっていましたよね。

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今までもこれからも、常識を疑う

最近は、政治家が「小物になった」「劣化した」と批判されることが多くなっていますが、私はそんなことはないと思います。今の日本が置かれた状況は、やはり難しいんです。例えば、「消費税を増税する」と言えば、国民は反対するじゃないですか。では、このまま財政が赤字になって破綻してもいいのか?それも反対でしょう。結局、国民が迷っているんですよ。でも、だからこそ面白いと思うんですよね。こんな面白い時代はないですよ。

国民はとても利口という訳ではないですが、そこまで何も分からない訳でもありません。言えば理解できるんです。でも、今のマスコミは国民に迎合してばかり。国民に好かれたいと思うわけです。それは違う、と。世の中にある常識を疑ってみないと、真実は見えてこないですよ。

やはり、小学校の5年生の出来事があってからですね。だいたい、常識は間違っていると思い始めてから。常識をいかに壊すか。今でも、そのことを考えて毎日を生きています。

私から見ると、若い世代が登場したなと感じます。「81世代」と言って、1981年以降に生まれた世代。彼らは物心ついたころから不況な環境で育っているんです。でも、だから良いんです。問題はここからどう作っていくかなんですから。だから、未来は明るいと思いますよ。

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