profile
杉本圭司
1966年生まれ、東京都出身。東洋大学経営学部卒業。新卒でLIXILの前身の一社である東洋エクステリアに入社し、14年間営業職を経験。当時革新的な商品の営業を担当し、寝食を忘れるほど仕事に没頭。2003年から、リボールにて10年間特殊塗料の営業職を経験。エクステリアに携わりたいとの思いから13年F&F入社、7年間営業職を務めた後、20年から現職。現在に至る。
https://www.fftokyo.com/
※本サイトに掲載している情報は2022年9月 取材時点のものです。

INTERVIEW

「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」。シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんが、高校時代の恩師から贈られた言葉だそうです。営業マン時代に苦しかったとき、この言葉が非常に腑(ふ)に落ちました。今すぐに成果が出なくても、ちゃんと努力しつづけていれば自分の中に蓄積ができて、必ず結果につながる。社長になった今でも、そう思って努力しつづけています。

エクステリアと育った幼少期

杉本圭司

私たちの会社は、門柱・塀などの商品を開発・製造・販売するエクステリアメーカーです。「ハーモニー・ネイチャー」という理念を持ち、庭を通して自然と調和する生活の実現と、業界の発展への貢献に努めています。昔の日本の家には庭と縁側があり、そこは家の中と同じく生活のステージでした。近年はインドアの娯楽が増えましたが、もっと庭で自然と触れ合ったり、庭でご近所さんと交流したりして、人々に心身ともに健康になってもらいたいのです。新型コロナウイルス禍以降、エクステリアの需要は急増しています。外出を制限される中で、安心して過ごせる屋外空間のニーズが高まっているようです。人々が改めて身近な自然である庭の重要性を意識し出した、と言えるでしょう。

父が東洋エクステリアの初代社長だったので、幼少期からエクステリアは身近な存在でした。近所の祖母の家には庭と縁側があり、頻繁にそこで過ごす中で、自ずと「暮らしには庭が必要だ」と感じていました。大工に憧れた時期もありましたが、大学に入ってからはエクステリアの道を志すようになりました。東洋エクステリアの採用試験には一般公募で応募して、他の就活生と一緒に試験も面接も受けました。社長の息子だからといって、縁故採用だと思われたくなかったのです。

入社後は、社運を賭けた新規商品を販売する部署に配属されました。商品は「ガーデンルーム」で、一年中庭とつながれる空間です。当時はまだ高級品で、代理店も「こんなぜいたく品は先を行きすぎだ」と乗り気でなく、売れない時期が5年ほど続きました。それでも諦めずに代理店に熱意を伝えたり、一緒に商品を売り歩いたりしながら、根気強く意識のギャップを埋めていきました。すると徐々に「一緒に頑張って売っていこう」と言ってもらえるようになり、6年目から売り上げが上がっていったのです。寝食を忘れ、仲間と仕事に打ち込んだ経験は、私の営業人生を変えてくれました。このとき生まれた「最後は人である」という思想は私の土台となり、今でも私を支えてくれています。

  • 杉本圭司
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人の役に立ちたい

この会社で社長に就任してからは、社員とその家族の生活に対する責任、お金のことなど、経験したことがない程の覚悟をしました。よく「経営者は孤独」と言いますが、実際に孤独でした。その中で支えになったのは、長年経営者として生きてきた父の「心身ともに充実した社員の幸せ」という言葉です。私も社長になる以上は、身を投げ打つ覚悟で経営に集中しようと思いました。今特に注力しているのは、販売システムです。我々は「限定代理店制度」を採用し、今の契約代理店以外には契約先を広げないと決めています。エクステリアは完成品がお客様の元に届くのではなく、代理店が現場で施工してようやく商品が完成するので、契約先を広げた分だけ施工トラブルも増えます。だからこそ、安心して丁寧に施工してもらえるように、今の契約代理店と強い信頼関係をつくることに集中しているのです。私の願いは、代理店にきちんともうけてもらい、安心して私たちの商品を扱いつづけてもらうことです。私はずっと田舎メーカーで構わないと思っているので、あえて大手メーカーはやっていない営業スタイルを貫いています。

これからも、庭のある生活をかなえる魅力的な商品を開発することで、自然と対話できる暮らしを実現していきます。ゆくゆくは皆さんに、「エクステリアもインテリアと同じくらい必要」と思ってもらいたいです。我々は生きる上で欠かせない「衣食住」の「住」を担っているので、お客様に対しても、市場に対しても、胸を張れる会社でありたいです。そのためにも、お客さんを裏切らない、信頼に応えるなど、当たり前のことを素直にやっていきます。尊敬する父も、人の道を外れることを一番嫌っていました。

今は簡単に情報が手に入りますが、その情報は全てではありません。若者の皆さんも、頭の中だけで解決せずに、自分で動いて汗をかいて確かめてください。実際に経験して実感して、はじめて情報は血となり肉となるのです。もし失敗しても、大丈夫です。その体験は、必ず皆さんの財産になります。そして、命を懸けられるくらいに取り組める仕事に出会ってください。私くらいの年齢になると、「自分が生きてきた証しって何だろう、人の役に立ちたい」と心底思うものです。皆さんも、真剣に、希望をもって、人のために生きてください。

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