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宋文洲
1963年生まれ。中国山東省出身。85年、北海道大学大学院に国費留学。92年にソフトブレーンを創業。学生時代に開発した土木解析ソフトの販売を始める。2000年、成人後に来日した外国人経営者で初の東証マザーズ上場を果たす。05年「青年経営者賞」を獲得。同年、東証一部上場。翌年、会長を退任し経営から退く。現在は経営コンサルタント、経済評論家として活動。著書に「やっぱり変だよ日本の営業」など。
https://www.softbrain.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2014年10月 取材時点のものです。

INTERVIEW

私は中国の大学で鉱山学を学んだのですが、好きで選んだわけじゃありません。国から勝手に鉱山の専攻に割り当てられたんです。でも入ってみると意外と楽しかった。 これまでの人生で、選択したくてもできないことや希望と違うことは山ほどありました。でも、自分で選んだからってうまくいくとは限りません。例えば結婚だって、一生懸命相手を選んでも離婚するし、勢いで結婚して長続きすることもあるでしょう。 若い人には、もし自分の希望通りにいかなかったとしても、与えられた場所で楽しむコツを身につけていってほしいですね。

日本の営業スタイルに違和感

宋文洲

幼い頃はちょうど文化大革命時代の真っただ中でした。私の生まれた家は商売をやっていたので資本主義の手先としてやり玉に挙げられ、紅衛兵から厳しい迫害を受けました。辛い目に遭いましたが、父親には「人から嫌なことをされても仕返しなど考えるな。それは誰のためでもなく自分が気を晴らすためでしかないのだから」と教わりました。

文革が終わり、国内の大学で鉱山学を勉強した後、国費で日本へ留学しました。北海道大学の大学院を選んだのは、日本の大学の一覧表を見た時に一番上に載っていたからです。優秀な順だと思っていました。

卒業後は日本の企業に就職しましたが、入社して3か月で倒産してしまいました。ワーキングビザの期限は1年間だけ。残り9か月のために再就職するのも厳しいので、大学時代に作った土木解析ソフトを完成させて販売してみようと思い、一人で起業しました。すると思いのほか成功して、業界でトップセールスになったんです。私ひとりで業務をこなすのに限界がきたので、大企業出身の営業スタッフを何人か採用することにしました。

最初、彼らは「売れます」と豪語しましたが、蓋を開けてみると私ひとりで営業していた時のほうが売り上げが良かったんです。彼らは名の知れた大手の看板のおかげで売れていたのを、自分に営業の能力があるのだと思い込んでいたんですね。だから無名の私の会社では結果を出せなかった。

この時気づいたんですが、日本の営業は根性論ありきで、義理人情に訴える非合理的なやり方が染み付いていたんです。企業は売れる営業スタッフの個人プレーに頼ってばかりで、組織の経営によって営業を良くするという発想がなかったんですよね。

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若者は社会の最先端にいてほしい

そこで私は、日本の営業スタイルを改善するビジネスができないかと考えました。営業コンサルティングと並行して、理にかなった営業のための支援ソフトを開発しました。ソフトは携帯端末から管理できる仕様にしたことも功を奏し、会社は2年後には東証マザーズ上場を果たしました。同時に、社長から会長に退きました。

いつまでも経営者でいるつもりはなかったので、東証一部に上場できたら会長も辞めようと決めていました。「この時期まで」と明確に線引きをしておかないと、自分のリーダーシップを発揮できないと思ったんです。マザーズ上場を果たした時、あと数年ほどで引退できると思うとなんだか元気が出たものです

その5年後に一部上場を果たし、著書「ここが変だよ日本の営業」もベストセラーになりました。晴れて会長を辞任したのは翌年2006年の8月です。

辞任後は別荘で農業に勤しんだり株に投資したり、約5年ほどは好きなように過ごしました。

無意味な時間だと思われるかもしれないけど、実際に過ごしてみないとどんな意味があるかなんて分かりませんからね。

今は創業者という立場で会社を外部から見ていますが、私にはこの方が性に合っていると思います。

若者って常に社会の最先端にいるはずなんだけど、最近の日本の若者はどうもそうじゃないような気がするんですよね。それは若者の本来の姿ではないと思います。親や国や政治家に甘えないように、自分の力で頑張ってほしいです。

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