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白方誠彌
脳神経外科専門医。1955年に九州大学医学部卒業後、岩手医科大学、神戸大学医学部に勤務。78年4月から96年3月まで、経営難に陥っていた淀川キリスト教病院の院長として再建に尽力。その功績を買われて96年4月から2007年3月まで日本バプテスト病院院長を務める。18年に湯川胃腸病院院長に就任。一方で11年にNPO法人「アミティ・バングラデシュ」を設立し、貧困国の医療支援を継続的に行う。23年湯川胃腸病院顧問に就任。
https://www.yukawa.or.jp
※本サイトに掲載している情報は2023年5月 取材時点のものです。

INTERVIEW

医療従事者に必要なのは患者さんに仕え、尽くす気持ちだと考えています。患者さんのことは自分の親兄弟だと思って接してきました。そうすれば、自分の持っている知識や技術を最大限に発揮できます。常にこの気持ちを忘れないように心に刻んで患者さんと向き合って来たました。どんな職業もお金をもらうことで成り立っていますから、お金もうけがいけないことだとは思いません。しかし医師を志す以上、人の命を助け、病を治すことが最優先でなければいけないのです。

かわいがっていた弟を結核で亡くして

白方誠彌

宮崎の田舎で9人兄弟の長男として生まれました。クリスチャン一家で毎週日曜日は教会へ通いました。両親とも教師でしつけは厳しかったものの惜しみなく愛情を注いでくれました。中学3年の時に北朝鮮で終戦を迎え、引き揚げた直後に年の離れた弟が結核に罹患(りかん)しました。長男の私が医師に言われるまま毎日ビタミンを注射していました。しかしそのかいもなく弟は亡くなってしまいました。弟のことをとてもかわいがっていましたから無念でした。このことが医学の道へ進む大きな動機となりました。弟が助かる方法は他になかったのか、どれだけ考えても医学の知識がなければ何も分かりません。医師とは無縁の家系でしたが、必死に勉強して医学部に進学しました。いくつもの診療科の中から外科を選んだのは一人でも多くの命を救いたかったからです。外科医には消えそうな命をつなぎ止め、人を死から守るイメージがありました。

外科や脳神経外科の領域で20年以上臨床経験を積み、50歳近くなると病院経営にも携わるようになりました。大阪市の淀川キリスト教病院で院長を務めた時、国内で2番目となるホスピスの立ち上げにかかわりました。ホスピスはがん末期の患者さんをみとる緩和ケア病棟のことです。患者さんの苦痛を少しでも取り除き、自分らしく穏やかな最期を迎えられるように体と精神面の両方をサポートします。「なぜ私が」とやり場のない怒りや不安を抱える患者さんがサポートを受けながら少しずつ現状を受容していく過程を目の当たりにして、緩和ケアの重要性を痛感しました。

現在私が顧問を務める湯川胃腸病院も、20年前に外科病棟を閉鎖し、ホスピスを開設しました。化学療法の発達でがんの治療成績は飛躍的に向上しました。その一方で化学療法が効かず、予後がより悪く強い苦痛を訴える患者さんが大病院からホスピスへの転院を希望しています。今後はこのような患者さんのニーズに寄り添う体制をより強化していきたいと思います。紹介がなくても誰でも自由にがんの相談ができるがん相談室や在宅のがん患者さんを対象とした訪問看護、訪問診療の充実も目指しています。

  • 白方誠彌
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「診断なら湯川」と頼られる病院に

当院は胃腸専門病院として120年の歴史を持ちます。外科手術は周辺の大病院に任せて、専門性を生かした的確な診断に重点を置いています。精密検査が必要な患者さんを地域の病院で受け入れ、丁寧に検査をして診断をつけ、必要に応じて大病院につなぐ、中継点としての役割でありたいと考えています。胃腸のがんは早期発見で助かる時代です。国もようやく予防医療に本腰を入れ始めました。健診の大切さを啓発し、より精度の高い内視鏡検査を目指すと同時に近年増加している膵臓(すいぞう)癌の早期発見にも注力したいです。多くの人に「診断なら湯川」と認識してもらえることを目指します。

私も90歳を過ぎていますから、次の世代に病院を託して、余生は本を書いて過ごしたいと考えています。テーマは脳の働きから見た平和論です。人はなぜ争うのかを脳のメカニズムからひも解きます。ヒトを人たらしめるのは大脳です。大脳にある前頭葉という部位が発達しているのは人間だけです。前頭葉があるので人は哲学や宗教、芸術など高度な思考や活動ができるのです。同時に殺人や戦争のような過ちを冒してしまうのもまた人間です。せっかく人として生まれた以上、与えられた機能を駆使して「いかに生きるか」という人生観を確立することが大切です。人生観のない人は方向性を見失い、私利私欲のままに生きて他人を傷つけてしまうのです。

私の人生観は「人のために生きる」ということに尽きます。この考え方はキリスト教の教えである「隣人愛」がベースにあります。口で言うのは簡単ですが、実践するのはなかなか難しいものです。しかし完璧ではなくともそうありたいという気持ちさえあれば、人を傷つけたり殺したり奪ったりするようなことにはならないはずです。今、その歯止めが効かない人が増えているように思います。過ちの手前で踏みとどまるためにも心の教育が求められます。多くの若者たちが確固たる人生観と他者への思いやりを持つきっかけとなるような本を書ければと思います。

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