profile
島田雅胤
1964年生まれ。福井県出身。東京歯科大学卒業後、東京、浜松市、地元福井で勤務医として働いたのちに、97年わかすぎ歯科クリニック開業。2016年、福祉事業にも着手し、放課後デイサービス、リハビリデイサービスなどを開設。著書に「日本のこれからをつくる本」がある。
https://www.wakasugi-shika.or.jp/
※本サイトに掲載している情報は2022年4月 取材時点のものです。

INTERVIEW

私の地元福井にある永平寺の開祖、道元禅師の教えに「履物をそろえる」というものがあります。脱いだ履物をそろえることで心がそろう。誰かが乱していたら黙ってそろえる。そうすれば世界中の人の心がそろう、という教えです。私も散歩をする時には、道端のごみを拾うことにしています。もう20年ぐらい実践しています。小さなことしかできませんが、その小さなことの積み重ねが世の中を良くすると信じています。

小さなことから実践していく

島田雅胤

小学校5年生くらいまで私は、左足だけかかとが地につかず、つま先立ちで片足を引きずって歩いていました。いろんな病院で診てもらいましたが、原因は分かりませんでした。しかし灯台下暗しで、たまたま小浜に優秀な医師がいると紹介を受け、踵(かかと)をつけて歩くという普通のことが可能になりました。ですから、小さな頃からスポーツで良い思いをしたことはなく、むしろ劣等感で生きていたと思います。

私は漠然と「医者は良い仕事だ」と思っていましたが、本当に医者になりたいと強く思うようになったのは、高校3年生の時に読んだ『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』という本との出会いでした。それまで勉強をあまりしてこなかった私が、一念発起して医者になりたいと思い、浪人までしましたが、元来勉強が好きでないこともあり、3浪した挙句、もう後がなかったので、滑り止めで受けた歯科大学に、なんとなく入りました。今思えば、いい加減な生き方をしていたと思います。

私立の大学だったので、私なりに両親に申し訳ないなと思ったのか、大学時代の6年間の生活費は、親に頼ることなく、奨学金や居酒屋やサービス業のアルバイトでまかなって過ごしました。今思えばそれは、後々大いに生かされたと思います。よく私が人に指導するときに言っているのが、「歯科医療はサービス業なんだ。サービスとはお客様の考えていることの一歩先をしてあげてこそサービスなんだ」です。そんな思いで仕事をしてきたお陰か、医院にはたくさんの患者さんに来ていただき、規模としては福井でも一番ではないでしょうが、それなりに大きな歯科医院になりました。

  • 島田雅胤
  • 島田雅胤

永平寺の道元禅師の言葉による気付き

2002年頃、首相である小泉さんが「日本変える」言われていた時、当時38歳だった私自身も、そのような思いがふつふつと湧いてきて、日本や福井の様々な問題点に関して、「こうした方がいいのでは」という考えを、周りに訴えるようになりました。しかし、考え方が少し先を行きすぎていたこともあり、四面楚歌になって、私自身倒れて入院までして、大きな挫折を味わいました。

しかし、その後大きな転機になったのが、福井の永平寺の道元禅師の言葉で、「履物をそろえる」というものです。履物をそろえると心もそろう。心がそろうと、履物もそろう。ぬくときにそろえておくと。はくときに心がみだれない。だれかがみだしておいたらだまってそろえておいてあげよう。そうすればきっと、世界中の人の心もそろうでしょう。なんて謙虚で、しかもあたたかく、また壮大な気持ちなんだろうと私自身感じました。そこから私自身も「自分に小さなことでもできることはなんだろう?」と思い、散歩のときなどに、ゴミを拾うことから始めていって、もう早20年になります。

また、歯科医院のすぐ道を挟んで隣に、障がいを持った子供達のための、放課後デイサービスと、高齢者のためのリハビリデイサービスも開業しました。元々「障がいを持った子供たちが能力を生かし、親に頼らず自立できる施設をつくりたい」という夢があったのと、私自身、ある程度の年齢になり、「地域社会のために何かできないか」という思いがあったためです。これも小さな実践の一つでした。介護、教育、医療、防衛、原発問題など、福井や日本のかかえている問題に対しても、私自身いろいろ思いや考えを持っていますが、今後ともできる小さなことから実践して、夢や思いや望みが、いつか実現できる日が来ることを願い、道元禅師のあの言葉のように、いつの日か、それは私の子供や孫もっと先の時代かもしれないですが、実現されることを願い、こつこつとはじめていこうと思って日々生きています。

ページの先頭へ