- 重松理
- 1949年生まれ、神奈川県出身。明治学院大学経済学部卒業後、婦人服メーカー勤務を経て76年にセレクトショップの草分け「BEAMS」の設立に携わる。1号店店長、常務取締役を務めた後、89年にユナイテッドアローズを立ち上げる。14年から現職。
- https://www.united-arrows.co.jp/
私は洋服が好きで、それしかないのでこの仕事をしています。自分がしたい仕事なので、つまらないと思ったことがないんです。自分のしたいことが分からない人は、「これだけは誰にも負けない」というものを掘り下げるといいと思います。とことん掘り下げることで自分の強みがはっきりしてくるので、それをどう使えば社会的な価値を生み出せるかということを探っていけばいいのです。自分の強みと方向性さえ決まればあとは突き進むだけですから。
神奈川県の逗子で生まれ育ちました。すぐそばには米軍基地があって、アメリカの文化を肌で感じることができる環境でした。姉が米軍将校の一家と交流があり、一緒に家に招待されたことがあります。私が10歳の時です。そこで見た光景は忘れもしませんね。大きな車に家電、家具や食べ物の一つひとつが、当時の日本では目にすることができないようなものばかりで、アメリカの豊かな生活文化にすっかりカルチャーショックを受けたのです。日本にもこの豊かな文化を広めたいという当時の思いが、私の原点です。 その後は特にアメリカのファッションに傾倒しました。姉がフライトアテンダントだったのと、駐留軍の購買部に出入りしている友人がいたおかげで、比較的容易にアメリカの洋服を手に入れることができたんです。たくさんのアメリカの衣類に触れていると、当時の日本の衣類との細部の違いにも気づいて、ますますアメリカの服の魅力に傾倒していきました。
学生時代は学生運動で学校閉鎖も多かった時期。あまり勉強もせずに、就職活動も大手は軒並み不採用。女性向けの小さなアパレルメーカーに就職して営業の仕事を始めました。売れる商品を作るためには、お客様が求めるものを熟知している店頭の販売員に話を聞くことが自分の営業成績をあげる一番の策だと気づいて、店頭の重要性を痛感しましたね。ここで学んだことはのちのビジネスにもいきています。そのうち企画も担当するようになったのですが、自分の中に不足感があって退社しました。後に、先輩や先輩の知り合いとの出会いがあって、店舗を構えて自分が思うものを並べるビジネス構想を作り上げたんです。まだセレクトショップという言葉もない時代に、アメリカの衣類の輸入販売店として原宿に開店したのがBEAMSです。わずか6坪の小さな店舗でした。
輸入品はどうしてもコストがかさんで割高になってしまうので、併せて国内でも日本人に合ったオリジナル企画商品を国内で作って提供していきました。この二つの要素が上手くかみ合って、新しいビジネスモデルとして成立したんです。後に、ある業界紙がセレクトショップと紹介しました。
89年に独立してユナイテッドアローズを立ち上げました。それまでは、日本にない新しい文化をアメリカの洋服を通して紹介し、提供してきました。欧米の文化はもちろん刺激的で素晴らしいのですが、全部が日本にフィットするわけでない。もっと日本の伝統や日本の生活に根差した文化と融合していかなければいけないという使命感があったんですね。そうして、洋服に限らずライフスタイル全般にわたって提案していこうと考えました。そして、それが新しい日本のスタンダードになるまで成長させること、を志したのが創業を決意した背景です。
そう簡単に成し遂げられるものではありませんが、私たちはそれを理念として掲げている集団なので努力を惜しむことなく、店頭を軸にお客様にサービスを提供していこうとスタッフたちに常々話してきました。店頭があるというのは非常にありがたいことで、これが小売業の強みだと思っています。今は多くの企業が顧客第一主義をうたっていますが、じかにお客様と向き合い接客をしないと、実際はなかなか難しいのではないでしょうか。ネットショッピングの時代ですが、店頭での接客サービスの満足感はネットでは得られないものですし、これからも店頭の重要性は高まっていくのではないでしょうか。
昨年(16年4月)、銀座で「順理庵」という新店舗をプロデュースしました。8坪ほどの小さな店ですが、茶室のような数奇屋造りの空間で、国内生産にこだわった衣料品や反物、漆製品などを扱っています。なぜこのような店舗を作ったかというと、今まで私たちが表現してきた「和」は、海外から見た分かりやすい日本らしさだったことに気づいたからなんです。これからは日本の技術や精神性、美意識の高さなど、本質的な部分をさらに深堀りして、表現していきたいと思っています。
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