- 佐藤伸次
- 1966年生まれ、長野県出身。高校卒業後、町工場に勤務。30歳のとき自分で収入を決められるセールスマンに転職。携わった全ての会社でセールス全国1位を獲得し、海外リゾート会社からヘッドハンティングされるも、外国リスクで倒産を経験。心筋梗塞に2回かかる。著書「人生を楽しむ為のレシピ」は、2024年Amazon8部門で1位を獲得。
- https://www.syachonomikata.com/
日本人は新しいものや変化を嫌いがちですし、知らないものは怪しいものと認識してしまって、妥協を正当化してしまいがちです。でも、知らないものに挑戦していかないと、何も変わっていきません。特にDXを進めて行くには、今の当たり前では無く、常識の外に出て考えるしかないのです。だからこそ私たちも、変化を恐れず新しいものに挑戦し続けています。
当社は、経営理念の構築から人材育成、マーケティングまで、経営全般にわたる支援を行っています。特に、サラリーマンから起業を目指す方への支援や、時代の変化に応じた新規事業の展開支援に注力しています。「社長のミカタ」という社名には、経営者の様々な悩みを理解し、その解決を支援したいという思いがこもっています。社長は孤独ですし、売り上げ向上や人材育成など抱える課題も多いので、社長に寄り添う存在でありたいと思っているのです。実はミカタには二つの意味があり、一つは伴走者としての「味方」、もう一つは未来を共に見据える「見方」です。自らも挑戦し続けることでより実践的な支援をできると考えているので、私自身も事業を展開し続けています。
私は工業高校の出身で、卒業後は30歳まで町工場でサラリーマンをしていました。どんなに頑張っても収入は上がらず、このままでは時間とお金を交換し続ける人生だと気付きました。そこで、自分で給料を操作できるセールスの仕事に転身し、その後医療機関で扱っているサプリメントを商材とする会社を起業しました。しかし、40代半ばに倒産を経験して全てを失い、正直命を絶つことも考えました。倒産後はストレスが溜まり、心筋梗塞で倒れましたが、幸運にも命拾いしました。闘病中は恐怖や不安がありましたが、「せっかく生かされた命に感謝して頑張ろう」と決意を新たにしました。
当社を立ち上げたのは2020年。ちょうど新型コロナウイルス禍だったので、ニーズの高かったオゾン脱臭機を販売しました。世の中が落ち着いてからは、これからの日本の課題であるデジタル事業に転換しました。私は地方出身なので、地方再生を応援したい思いが強く、現在はデジタル技術を使った地方再生に注力しています。地方のデジタル技術が整えば、都心部に行かなくても都心部と変わらない仕事ができ、都市部への人口流出を防ぐことができます。2021年にデジタル庁が発足し、デジタルの力で地方を元気にするミッションを掲げて動いていますが、そこに私の夢も乗っかっているのです。
大切にしているのは、仲間の力を借りることです。日頃から様々な専門家とネットワークを構築しているので、税金についてなら税金の先生、商品についてならメーカーの開発チームに聞くことができます。課題に応じて最適な専門家とチームを組むことで、私一人では解決できない課題もスムーズに解決できています。その上でも、人脈やご縁は大切にしていますし、私が人のご縁をつなぐことも多いですね。現在は具体的な取り組みとして、各地区でデジタル化やサイバーセキュリティについての啓発セミナーを行ったり、商工会議所と連携して企業向けのDXセミナーを実施したりしています。地方自治体とも協力し、地域へのデータセンター設置を目指す公民一体プロジェクトも推進しています。行政側も前のめりでワクワクしてくれているので、私も楽しんで取り組めています。
今後の目標は、引き続きデジタルの力を使って企業を元気に、地方を元気に、日本を元気にしていくことです。近年、日本のデジタルインフラの多くは海外に依存しており、「デジタル赤字」と言われる大きな経済的損失につながっています。弊社の強みはデジタルの地産地消を実現できることなので、それを通じて日本の経済主権を確立できると信じていますし、それに伴ってGDPも上がっていくと信じています。私の願いは、自分が暮らす場所がすてきで豊かになること。今は仕事を頑張って、余生は再生した地方で楽しく暮らしたいですね。まずは2030年までに、レンタルサーバー日本一の会社を目指します。
私のマイロードは、挑戦することです。今でも薬を飲んでいますし、医師から「次回倒れたら後はない」と念押しされているので、私には遠回りする時間がありません。だからこそ、重要なこととそうではないことを分別し、最短で成果を出すことにフォーカスしています。時間がないと思っていると、脳が活発に回り、最短で最善の方法が思い浮かぶようになりました。そして、その方法こそが「チーム戦」でした。この気付きがあったので、病気の経験は決して無駄ではありませんでしたね。人間は何歳になっても、怖がることなく挑戦するべき。そのためにも、仲間を大切にし続けたいと思います。
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