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佐々木俊一
1973年生まれ。長野県出身。大学進学のために地元を離れ、卒業後はそのまま他の仕事に就くも、父が急病で倒れたために帰郷。2003年、29歳の時、父が社長を務めていたクロダ精機に入社。父の死後は現場でものづくりを一から徹底的に学ぶ。同社製造部部長を経て、18年同社代表取締役社長に就任。
https://kurodaseiki.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2019年12月 取材時点のものです。

INTERVIEW

クロダ精機は、精密プレス部品の試作品を専門として製造している会社であり、年間350日稼働をすることで他社にない短納期を実現しています。世の中にまだ出ていない開発途中の商品に使われる重要な部品を、お客様の設計通りに製造することはもちろん、製作として提案も行っています。主な取り扱い業種は自動車で、電気自動車やハイブリッド車など、3年後、5年後に活躍する車の開発を支えています。日本のものづくりの未来の担い手として、お客様目線に立った提案力を強みに「日本一の試作屋」を目指しています。

未経験からものづくりの組織を担うまで

佐々木俊一

2代目社長を務めた父はかつてプレスの量産工場に勤めていた技術屋でした。創業時の出資者である初代社長とクロダ精機を共に創業いたしました。父としては、私に会社を継いでほしいと願っていたようなのですが、私自身はあまり継承することを意識せずに学生生活を送っていました。大学から横浜に出て10年という長い月日を過ごしていましたが、父の体調不良をきっかけに長野に戻り、クロダ精機に入社。入社して間も無く父を亡くしたため、本腰を入れものづくりの基礎から学ぶため現場に入り、一から勉強しました。

自分のスキルと知識を磨き一人前になるためには、人よりもっと努力をしなければと考え仕事に懸命に打ち込む毎日。残業も全く気にならないほど仕事を楽しんでいられたのは、親切に教えてくれる先輩や上司のおかげでした。ようやく周りにも認められるようになったものの、ふとした時に、果たしてこのスキルは第三者から見てどの程度のものなのか、はっきりと自信を持つことができなかった私は、国が認める技術検定試験の受験を決意。合格したことで自信にもつながりました。難易度の高い学科試験においては現場で得ることが難しい知識を吸収することができる絶好のチャンスになると確信しました。私が社内で初めて合格したことが、後輩たちにも受け継がれ、今では10人以上が合格をして技能士となっています。この仕組みは、社員に明確な目標を一つ持ってもらうことにつながり、そのきっかけを作れたと自負しています。

月日が経ち、私自身仕事や人を管理する役職につくと、ものづくりの現場だけに集中していた頃とは違う別の壁にぶち当たりました。チームとして成果を出すために繰り返した挑戦も、全てが成功に終わるわけではありませんでした。しかし、そうしたくじけそうな時にこそ、社員一人ひとりが「こんなことをしてはどうか」と積極的にアイデアを出してくれたりすることが喜びと励みになっていました。

アイデアを積極的に出す風土の源となっているひとつに、改善提案制度という社内の取り組みがあります。1カ月に一度、仕事の中で小さなことでもいいから改善案を提出し実践してもらいます。何か置き場所を変えたら作業効率が良くなったとか、そんな些細なことでも構いません。「気がつくことは小さなことでも改善し、より良い仕事をしていこう」という意識を持ち続けて仕事に向き合えるよう、10年以上続けられている取り組みです。

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関わる人を幸せにする日本一の試作屋

クロダ精機は元々、量産部品を手がける製造会社でした。しかし、時代が変わり量産部品は価格訴求に傾いた結果、国内の需要は減っていきました。そんな折、お客様から試作品の部品を頼まれたことをきっかけに、試作品であれば製品だけでなく付加価値をつけて提供することができると考え、移行していったのです。

弊社が最も強みとしている付加価値は短納期で仕上げることです。開発途中の製品というのは、どのお客様も少しでも早く手元に欲しいもの。土日に製造が稼働しないとなると待たせる日数も増えてしまいます。そこで、働き方の時間枠をフレキシブルにし、休日も稼働可能な仕組みを作りました。シフト制にしてしまうのではなく、お客様の要望に合わせてフレキシブルに対応することで、社員の負担ができる限り軽くなるようにしています。今では「お客様の要望に少しでも貢献できるよう、納期にこだわろう」と社員一人ひとりが責任を持って仕事をこなしてくれており、お客様からの信頼を得ることにつながっています。

1年ほど前に社長に就任したときには「ついにこの時が来た。期待に応えられるだけのことをしよう。お客様、社員、そしてその家族がクロダ精機に関わってよかったと思ってもらえるようにしよう」という思いを強くいだき、今日まで歩んできました。就任時に社員に約束したのは「10年後に日本一の試作屋になる」ということです。この日本一というのは、売り上げや規模ではありません。日本でここだけにしかない会社、ここだからこそ関わる人が皆、幸せになれるという場所にすることです。その会社像の輪郭はまだ社員にとってはぼんやりしていることでしょうが、少しでも早くその形をはっきりと見えるようにすることが、私の果たすべき仕事だと思っています。

日本のものづくり業界が厳しい状況にある今、既存の価値観や考え方では業界を盛り上げることはできません。多様化するお客様の要望に、いかに応えることができるかというプラスアルファの力が求められる時代です。我々もお客様に寄り添い、お客様と目線を合わせることで、新しい提案ができるものづくりを目指していきたいと思います。

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