- 大友弘之
- 1970年生まれ、宮城県出身。地元の農業高校を中退後、上京し赤坂の料亭で料理人として働く。その後ダンサーとして活動したが限界を感じ、ダンサーの道を引退する。95年、佐川急便に就職。その後独立し、飲食店経営を経て、2009年に警備会社としてアシストを設立。東日本大震災を経て、解体業、復興事業など様々な事業を展開し、今に至る。
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新型コロナウイルス禍でオンライン出社も増え、人とのつながりが希薄になっています。仕事を辞めても誰も気にしないのは寂しいことです。強い組織を作るには、仲間と同じ釜の飯を食べるような経験が必要だと私は思います。ずっと苦手意識を持っていた相手が実はいい人だったというようなことも、一緒に過ごしてみなければ分かりません。こんなご時世ですが、できる限り社員たちと向き合い、コミュニケーションを取っていきたいと思っています。
民謡教室をいくつも運営する父のもとで育ちました。初めて自分でお金を稼いだのは小学3年生の時。はやりの新しい自転車がどうしてもほしくて、牛乳と新聞の配達を始めたのです。中学・高校時代はテニス部の強豪校のレギュラーになり、毎朝新聞を配り終えてから朝練に出掛けていました。ラケットもシューズも自分で買いました。自分の力で道を切り開くことの大切さを学びました。17歳で高校を中退し、上京して赤坂の高級料亭で板前の修業をしました。20歳前には料理人としてそれなりに評価されるようになり、早く独立したいと思っていたのですが、料亭や割烹料理屋が次々とつぶれていく時代だったので、断念しました。
ショービジネスの世界に飛び込み、ダンサーの道に進んだこともあります。ダンス歴が短い分必死に練習し、ファンもついて良い思いもしましたが、子供の頃から長く踊っているような人には敵わず、限界を感じて25歳で引退しました。今思えば、ずいぶんいろんな道を歩みました。従業員にもよく話すのですが、人はブレて当たり前です。若いうちは少しぐらい火傷をするような道に踏み込んでも引き返せるので、迷った時は、一歩踏み出すことが大事だと今でも思います。結婚後は、安定を求めて大手運送会社で働きました。給料は良いのですが、とにかく早朝から深夜まで働き詰めで、休みの日も電話が手放せず気が休まりません。体を壊しましたが、おかげで体力も仕事の段取り力もずいぶん身に付きました。
29歳の時、運送会社を辞めて地元で飲食店の経営をはじめました。数年で7店舗抱え、健康食品やソフトウエアなどの事業にも手を伸ばしましたが、失敗が続き1年で数千万の借金を背負ってしまいました。あまりの不運に、呪われているのではないかと思いましたが、結局自分で責任を持てる範囲の仕事をしなければだめだと痛感しました。何もかも失い途方に暮れていると、福島県で人材派遣業を営む知人が助け舟を出してくれました。いわき市で警備事業を任された時に「自分にもできるかもしれない」思い、半年で独立しました。最初はなかなか警備の仕事がなく、婚礼衣装の配送や害虫駆除など頼まれたことは何でもやりました。
起業から3年目、警備の事業がようやく軌道に乗り始めた頃、東日本大震災が発生しました。その日、娘の卒業式を終え、高速道路で会社に向かっている途中に激しい揺れを感じました。大津波警報が発令される中、携帯電話がつながらないので沿岸にいる従業員たちの元へ駆けつけて避難を呼び掛けました。私や従業員たちはどうにか事なきを得ましたが、津波で家族を失ってしまった従業員もいました。
付き合いのある建設会社が震災の復興事業を始めると聞き、ぜひ力になりたいと申し出ました。「警備会社に何ができる」といなされましたが、しつこく食い下がり、除染や解体作業から手伝わせてもらい、徐々に農地再生やため池の浚渫(しゅんせつ)工事なども手掛け、復興事業の幅を広げていきました。最初は人力でしたが、億単位の投資をしてトラクターや台船、プラントなどの機材を少しずつそろえました。次に世の中に求められることを常にイメージして、率先して設備投資をするように心掛けています。福島に5Gのアンテナを設置するための機材も購入しました。いつか、農業高校で学んだことを生かして農地改良にも挑戦してみたいです。会社を成長させてくれた福島に少しでも貢献したいと思っています。今後も、一生懸命働いてくれている従業員とその家族が幸せに暮らせるような会社でありたいと思います。特に子育ては本当にお金がかかります。従業員の子どもたちが、経済的な事情で勉強ややりたいことを諦めるようなことがないようにと肝に銘じています。
私もこれまで何度も失敗を重ねましたが、その度に乗り越え、ここまで来ることができました。人に好かれること、人に関心を持ってもらえるようなことを率先して行うことができれば、何とかなります。時には、さぼったっていいと思います。さぼった分、気持ちを入れて一生懸命働けばいくらでも取り戻すことができます。若者のみなさんも、失敗を恐れず、一緒に頑張りましょう。
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