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奥村光一
1989年生まれ、東京都出身。大学卒業後、医薬品商社に営業職で入社。2年目から3年目にかけて売り上げ1位を獲得を経験。その後、調剤薬局グループへ転職しジェネリック医薬品や報酬改定の煽りを受け、介護事業へシフトし、福祉事業の統括責任者を歴任。その後独立し会社を設立。直営の店舗のみならずフランチャイズ展開やコンサルティング業も手掛け、社員と利用者を第一に事業を展開している。
https://www.progress-stella.com/
※本サイトに掲載している情報は2022年9月 取材時点のものです。

INTERVIEW

学生の頃から経営者に憧れはありましたが、実際になってみると、イメージしていた会社像、経営者像よりもずいぶん泥臭く地味なことばかりです。そして、会社が成り立っているのは私一人の力ではなく、スタッフや関係する方々のおかげです。縁あって入職してくれたスタッフたちに敬意と感謝の念を持ち、彼らの家族にまで心を及ばせ、一人ひとりにとことん向き合うことを心がけています。スタッフたちとじっくり語り合う時間はとても大切です。彼らに「ここで働いて良かった」と思ってもらえるような会社でありたいです。

医薬品商社で営業成績が全国1位に

奥村光一

小さな頃から活発で、いつも外で泥だらけになって遊んでいるような子どもでした。小学校2年生からサッカーを始め、高校時代には、全国高校サッカー選手権大会都大会ベスト8を経験しました。チームワークを大事にしながら結果を出すこと、そのための準備や、チーム内で伝えたいことを簡潔に分かりやすく伝えるスキルをこの時に学びました。大学ではサッカー漬けのハードな日々から解放され、ひたすら遊び倒しました。交友関係も広がり、いろんな友人から多くの刺激を受けました。「いつか経営者になってみたい」と思うようになったのもこの頃です。

大学卒業後は医薬品商社で営業の仕事をしました。1年目からそれなりにできる自信はあったのですが、すぐに打ち砕かれ、自分の実力のなさを思い知りました。このまま負けるのは嫌だったので営業方法を研究し、一方的に商品をアピールするのではなく、相手の考えを意識した営業を心掛けました。そうすると、2年目・3年目には売上部門や新製品売上部門で全国1位を獲得することができたのです。

その後、調剤薬局グループから「ぜひ一緒に働きたい」と声を掛けていただき、マネジメント職として転職しました。プレイヤーとして自分で動いていた頃よりも、人を動かすことの難しさを痛感しました。ある時、グループが介護事業に参入することになり、施設部門の部長に抜てきされました。今まで考えもしなかった未知の分野なので1から勉強の日々でした。勉強は苦ではないので、新しいことを知るのは新鮮で楽しかったです。前職では似たような道を歩んできたエリートばかりでしたが、介護業界は様々なバックグラウンドや人生経験を持つ人間味のある方が多く、いろんな人と話をすることがいつも楽しみでした。
低賃金で離職率も高い福祉業界ですが、スタッフが夢や誇りを持って長く働ける場所を作りたいと考え、19年に独立しました。障がいを持つ子どもたちを対象とした通所支援事業所を立ち上げ、少しずつ店舗展開していきました。下準備や手続きはすべて私が担当し、スタッフには現場で子どもや保護者と向き合うことに専念してもらいました。

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店舗を増やすのは、箱があるからではなく、優秀な人材がいるから

スタッフが良い仕事をした時も、ミスや失敗をした時も、あえて何も言わないようにしています。私の顔色を伺いながら仕事をしてほしくないからです。重要なのは、スタッフ一人ひとりが自分の持ち場に100パーセント集中することです。私自身、監督や上司に対して委縮してしまい本来のパフォーマンスを発揮できなかった経験があるので、スタッフたちには自分で考えて動いてほしいのです。それが子どもたちの良い療育、支援にもつながるはずです。

今の若いスタッフたち全員に児童発達支援管理責任者の資格を取得してもらって、管理者か独立の道を作ってあげることがこれからの目標です。当社には、資格は取らなくてもいい、このままでいいと考えているスタッフは一人もいません。みんなが向上心を持って仕事と向き合ってくれています。現在、東京都、神奈川県、千葉県に直営店、フランチャイズ店舗含めて14店舗展開していますが、空いた建物があるから人材を集めるのではなく、資格を取得した優秀な人材がいるから店舗を展開するというスタンスを貫いていきたいと思います。働いているスタッフ全員が成長し、地位もお給料も療育のクオリティーも向上する仕組みを確立していきます。

障がいを持つ子どもたちもいずれ大人になり、両親に先立たれます。その時に、たとえ障害や生きづらさを抱えていても多くのことが一人でできるようになればという思いを込めて、子供たちと日々向き合っています。ここ数年で障がい児通所支援事業所は激増していますが、子供たちを単に時間まで預かる託児所のような事業所も少なくありません。私たちはこれからも、子どもたちが今できないことを一つでもできるようにする「療育」を提供することにこだわり続けていきたいと思います。そんな事業所が少しでも増えることを願っています。

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