profile
岡本憲一
1988年、岡山大学医学部卒業。同年に大学院博士課程入学。91年より四国勤労病院、92年に徳洲会千葉病院、96年に上尾中央総合病院グループ傘下の東京・神奈川・埼玉の各施設に勤務。2007年におかもとクリニックを開設。11年に北本から桶川に移転し、名称をおかもと腎クリニックに変更。14年には医療法人を設立。15年、サテライトとなる古河おかもと腎クリニックを開設。19年、新築移転。現在に至る。
https://www.saitama-toseki.com/
※本サイトに掲載している情報は2020年8月 取材時点のものです。

INTERVIEW

当院は透析治療をメインとした科目を掲げています。中でも強みとしているのが、適切な時に適切な治療を行える体制を整えていることです。特に透析治療はコーディネート医療とも言えますから、いかに早く最適な治療法で完治に導いていけるかがポイント。24時間体制でホットラインによる対応も可能にするなど、常に適切な治療を行うための更新を繰り返しています。何より、患者様が元気に長生きしてもらうことが一番の役目ですから、現状に満足することなくまい進していければと思っています。

理想のクリニックを作るまでの道のり

岡本憲一

岡山大学医学部に進学してからは2年間基礎医学を学び、その後4年間にわたり臨床を学んでいきました。早く医師として独立したいという思いだけが自分を突き動かしていたのです。

私はもともと外科医でしたが、必要とされる忍耐力や体力を考えると、45歳が外科医の旬だと考えていました。いずれは開業したいという思いもありましたから、現在の専門医療をさらに極めていく決意を固めたのです。透析医療に着目したのは、開業する上で最もやりがいを感じられる医療だと思ったからです。

理想のクリニックを作りたいという一心で現在のクリニックを開院しました。開業当初は苦労もありましたが、外科医としての視点は現在の医療にも大いに役立っています。30~40年前の外科は今のように細分化されていませんでしたから、様々な外科手術で研さんを積んだことも現在の礎になりました。

それから15年の月日が経ち、ここ10年くらいは医療経済学の勉強にも力を入れています。そうした学問をさらに多くの方々へ広げるため、最近では医療経済学に関する講演や学生に向けた教育制度に関するセミナーなども私のライフワークです。医療は決して奇麗事ではできませんし、経済に無頓着な医師も多い中で、医師が経営者意識を持つことは当然の務めだと考えています。

また、そうした多角的な視点を持つことがコストの無駄も省き、最終的には患者様に最適な医療を提供することにもつながっていくと考えています。

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患者様を元気にするための環境づくり

そして2019年にはクリニックを新築移転し、院内の雰囲気を一新しました。秋田杉などの無垢材をふんだんに使用し、天然の森林浴ができるような院内にリニューアル。透析患者の方は貧血になる方も多いため、リラックスした環境をつくることで元気を取り戻す効果も出ています。患者様が元気になっていただくことを生業としているわけですから、そうした医療環境への配慮や接遇を心がけていくことはとても重要なのだと実感しているところです。

また福利厚生など、共に働く職員が居心地よく働ける環境をつくっていくことも、クリニックを運営していく上で重要なことだと思っています。当院では年間を通じて社内イベントを催したり、職員皆がモチベーションを上げていけるような試みが盛りだくさんです。そのため職員の離職率は低いですし、やりがいの持てる職場環境や職員の元気が、患者様にも還元されていると感じています。意欲的で優秀な人材がそろい、互いにフォローし合いながらチームワークを重んじる一流の職場だと自負しています。様々なクリニックの中から患者様に選ばれるためには、人材や院内環境などのソフト面で勝負するしかありません。

医療は自由診療を除き、公的な仕事でもあります。国民の大切な税金を費やして医療に従事するわけですから、大きな責任を持つのは至極当然のことです。
今後は当院ならではのスケールメリットを生かし、さらに分院も増やしていかなければいけないでしょう。2020年以降は都内にも進出する予定です。今後もおかもと腎クリニックの価値を社会に問いながら、より精度の高い医療を広めていくことが目標です。

私の道しるべは、うまくいかないのは全て自分のせいだということです。他人事にせず、全ての行いが自分に返ってくるという意識で仕事に向き合っていかなければいけません。若い方々も常に問題意識を持ち、全ては自分のせいだと認識した上で、その問題を追及していってほしい。その積み重ねが成長への足掛かりになっていくのだと思っています。

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