- 岡田一平
- 1973年生まれ、奄美大島出身。明治薬科大学薬学部薬剤学科に進学後、大手医薬品メーカーに就職。08年、あけぼの関西設立。「笑顔創造ファーマシー」を理念に患者様だけでなく働く従業員全員が笑顔になれる取り組みを第一に日々邁進中。
- https://www.ak-holdings.co.jp/
「失敗は成功のもと」を生き方の指針にしています。失敗を繰り返すことで、その失敗をしないように一生懸命勉強してはい上がっていけますし、強い信念があれば何があっても乗り越えられるものです。神様は乗り越えられない試練は与えないと私は信じています。困難な状況でも必ず打開策はあるし、一生懸命やっていれば手を差し伸べてくれる人は必ず現れますよ。
子供の頃から負けず嫌いな性格でした。学校のマラソンや縄跳び大会では一番にならないと気が済まないので猛特訓していましたね。やるからには徹底的にやる、凝り性だったんです。
薬で病気が治るメカニズムに興味があって、大学の薬学部に進学しました。最初は研究職に就きたいと思っていましたが、製薬会社の営業職が気になり始めました。MRと呼ばれ、認定資格制度が導入された頃だったので話題になっていたのです。元来、人の懐に入っていくのが好きな性分。薬理の知識を生かしながら営業ができるこの仕事こそ天職だと思い、大手医薬品メーカーに就職しました。
当時はまだ多くの病院で院内調剤をしていました。ちょうど医薬分業を推進していた時期だったので、薬局を病院の外に併設させてもらうための営業に力を入れていたところでした。そのうち、薬局の開設や店舗作りに興味が出てきて、私もやってみたくなったんです。3年でメーカーを退社し、岩手県北上市で半年間薬剤師の研修を受けました。飲み歩いたり遊んだりするような場所もなかったので、集中するには良い環境だったと思います。薬剤師の免許は持っていても経験がなかったので、必死に勉強しました。
その後、ある大手調剤薬局が買収した10店舗のうち1店を私に譲ってくれることになったんです。今となっては考えられない話ですが、それが一号店です。薬剤師は私一人と、事務のパート1名で始動しました。大手が経営的に成り立たないと判断して手放した物件ですからそう簡単に軌道には乗りませんでしたが、焦らずできることから取り組みました。特に力を入れたのが、そばにある病院以外からの処方箋を増やすこと。たとえば患者さんのお薬手帳を見て、他の病院にもかかっていたら「この薬もうちでそろえますよ」とアピールしました。そうして地道な取り組みを積み重ねるうちに利用してくださる患者さんが増えて、気が付くと売り上げも飛躍的に伸びていました。翌年には新店舗を構え、出店は年々増えていきました。
薬局は58店舗にまで増えました。ところが社内のトラブルで、42店舗が違う人の手に渡ってしまったんです。もう一度やろうと思えたのは、励ましてくれる人たちがいたからに他なりません。調剤薬局の役割はただ薬を出すだけではなく、先生や患者さんとしっかりコミュニケーションを取って信頼関係を築くことだと私は思っていますし、全店舗でそれを徹底してきました。一方、私の手を離れて新体制になった店舗ではその部分が疎かになっていたようなのです。だから処方元だった病院の先生方は私の味方になってくれました。そこから5年で、店舗数は以前と同じにまで回復しました。
2020年までに100店舗に増やすことを目標に掲げていますが、数が多ければいいのではなく、患者さんの相談を親身に聞き、質の高い服薬指導を提供できる薬局を増やしていきたいですね。そのためにも薬剤師の採用や教育には力を入れなければいけません。薬局の価値は人で決まると言っても過言ではないので、良い人材に来てもらって快適に仕事をしてもらうためにできることを常に考えています。他の薬局は「患者さんを笑顔にする」というようなことを掲げていますが、まず社員が働きがいややりがいを感じなければ患者さんに笑顔を与えることはできないので、社員の満足度を上げることが先決だと思うんです。
設備投資や福利厚生の充実、処方元の先生や患者さんとの良好な関係の構築など、薬剤師の方が「ここで働きたい」と思えるようにできることから取り組んでいるところです。今年から「かかりつけ薬剤師制度」といって、患者さんが指名した薬剤師が毎回担当する制度が導入されました。私たちが今まで力を入れてきたことなので、どんどん推進していきたいですね。みんな信念を持って患者さんと向き合ってくれているので、かかりつけの指名率はおそらく日本一じゃないでしょうか。「人間力のある薬剤師」がそろっていることが私たちの何よりの強みです
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