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中村好成
1960年、愛知県出身。大学卒業後、90年水甚へ入社。商品開発、海外生産拠点開拓を経て、アメリカンスポーツブランド「FIRST DOWN」を筆頭とした海外ブランドとの契約および国内販売プロジェクトに従事。2005年、同社代表取締役社長に就任。その後海外の生産拠点を次々と建設し、安定した生産体制を構築する。20年には「アーノルド パーマー」とライセンス契約を締結し、21年3月に直営店舗の展開をスタート。縫製工場からスタートした同社のものづくり精神を軸としてチャレンジを続けている。
https://www.mizujin.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2022年4月 取材時点のものです。

INTERVIEW

人生は失敗の連続です。私も数えきれないほどたくさんの失敗を重ねてきました。失敗は決して悪いことではありません。大切なのは、失敗したことから逃げずに、自分自身が受け入れることで、次の道が見えてきます。そして、チャレンジ精神を忘れないことです。もちろん、やみくもに何にでもチャレンジするのではなく、冷静な分析と判断は必要です。ただ、最後に自分の背中を押すのは、「成し遂げよう」という強い思いだけです。その思いがあれば、悪い方向に進むことはないと信じています。前向きな思いで取り組めば、入ってくる情報も周りの環境も必ず良い方向に動くはずです。

ライセンス契約直前に「待った」の声

中村好成

ファッションに興味を持つようになったのも高校生の頃です。巷ではDCブランド(日本人デザイナーによる高級ブランド)やサーファーファッションがブームになっていて、ショップには朝から行列ができていました。アパレル業界が最も輝いていた時代だったように思います。大学卒業後は、岐阜の紳士アパレル卸会社である水甚に入社しました。縫製会社をルーツに持つ会社であったこともあり、ものづくりへの意識が非常に強く、質の良い商品を作ることにこだわっている会社という印象でした。入社した1990年には他のアパレル企業に先がけてベトナムでのカジュアル商品の生産もスタートさせていました。

入社7年目、ニューヨークのミュージックシーンでブレークし、日本でも人気が高まっていた米国のスポーツウェアブランドである「ファーストダウン」とライセンス契約が締結できるチャンスが訪れました。交渉を重ねいよいよ契約という時に、先方の副社長から突然「待った」の声が掛かったのです。社長の「ライセンス契約を結んで販売を任せたほうが良い」という判断に対して、副社長は「直接日本に売るからライセンス契約は必要ない」と主張していました。すぐに真冬のニューヨークに飛び、話し合いを重ね、契約にこぎつけたことが今となってはたいへん良い思い出です。自分の信念を信じて粘り強く交渉した結果だと思っています。1年後のニューヨークでのミーティングの際には、契約に大反対していた副社長も満面の笑みで大歓迎してくれました。

私が代表に就任したのは45歳の時のことです。就任した時の正直な気持ちは、創業者である先代が築き上げてきたものを壊すことはできないという使命感があり、先代から学んだ商売の基本を忠実に実行しながら、機を見て新しいことに挑戦していこうという思いもありました。そのため、まずは「工に徹する」の創業精神を引き継ぎ、安定した生産体制を整えるため、中国、ミャンマーにも合弁工場を新設したのもこの頃です。

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ブランドを会社の財産として育てると言うこと

ライセンス契約を結んだファーストダウンは10年目を迎える時に商標権を買い取る交渉を進めました。9年間で培った信頼関係により交渉も順調に進み、自社ブランドとして新たにスタートを切ることができました。ブランドイメージをより一層高めるために、商品に適したダウン原料や日本製素材を採用し、ダウン専用の縫製ラインを新設しました。より良い商品をマーケットに発信することを目標に商品クオリティーの向上に努めましたが、販路を拡大したことにより価格が下がってしまいました。どんなブランドでもはやり廃りがあります。毎年同じような商品を発信していては消費者に飽きられてしまい、ブランド価値も下がってしまいます。3年程前に商品企画を見直し、セレクトショップや新規マーケットへの販売をスタートさせたことにより、商品価値が向上し非常に良い成果を得ています。リブランドによりハイブランドとのコラボレーション企画の話が舞い込み、新しいイメージのファーストダウンを発信していきたいと思います。生産量を制限したことにより売り上げは最盛期よりは減りましたが、ブランドを会社の財産として大切に育てることが私の役目だと思っています。

一昨年には米国ブランドのアーノルド・パーマーとライセンス契約を締結することができました。傘のマークでおなじみの日本で最初のファミリーブランドとして知名度は抜群です。メンズに加え、レディース、子供、雑貨なども展開することでブランド価値を高めることができると考えました。昨年の1号店の立ち上げを皮切りに、直営店の数は35店舗を数えるまでに成長しました。卸売業が本業の弊社が、新型コロナウイルス禍での小売業への進出には勇気がいりました。しかし、卸売業の頃にはお客様の生の声を聞くことはできませんでしたが、お客様の声が直接届くようになり、スピーディーに商品に反映することができ、今では失敗を重ねながら自分達の力で小売業を起道に乗せるため社員と一緒に毎日奮闘しています。時代は目まぐるしく変化しています。同じことを続けていては、企業の成長はありません。従来の卸売業とSPA(商品企画、生産から販売までを一貫して行う小売業)を融合した新しい水甚の姿を作り、お客様の生活に密着した生活大企業を目指したいと思っています。

この業界に入って30年。ものが売れていた時代から売れない時代に変わりました。その間には、リーマン・ショック、東日本大震災や新型コロナウイルス禍など、誰も予想しなかったようなできごとが次々と起こりました。激動の時代を耐え忍ぶだけでは何も変わりません。どんな状況でも、新しいことにチャレンジし続ける気持ちを忘れずにいたいですね。人々の趣味や価値観も多様化しました。そこにきめ細かく対応できるよう、前に進んでいきます。ピンチこそ最大のチャンスだと信じています。

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