profile
中村憲広
1976年愛知県生まれ。99年、名古屋外国語大学国際経営学部国際経営学科卒業。大学在学中、バックパックを背負って色々な国々を回り、そこで様々な価値観や考えと出会う。大学3年生の20歳頃から実家の仕事を手伝うようになり、25歳のときには父から会社を譲り受けて、晴れて自分の会社を持つ。今では、ビジネスソリューション、ライフパートナー、ロボット&テクノロジー、ヘルス&ビューティーの4事業を展開している。
https://www.memoly.com/
※本サイトに掲載している情報は2019年7月 取材時点のものです。

INTERVIEW

一つひとつ改善点を潰しながら、毎日一歩でも進めるように、日々諦めずに商いを続けることを考えてきました。私は昔の苦労を振り返ることはありません。それより、これから仲間と一緒に迎える楽しいことを想像してワクワクしています。ビジネスマンとして人生を積み上げる中で、個人的な喜びよりも仲間と共に味わう楽しさを感じるようになってきました。お客様、地域の方々、社員、協力会社の方々、その全員の喜びがじんわりと伝わってくることこそが、私の喜びになっているんです。

「変人」が描いた大きな夢

中村憲広

幼少の頃は友達から「宇宙人」と呼ばれていました。変わった子どもだったのでしょうね。父は日用雑貨を扱う「メモリー商店」を営んでいました。醤油もプラモデルもある、町の小さな商店です。自分で選んだ商品を置いて、自分で考えて道を開いて、自分の力でいかようにも出来る、そんな父のスタイルを子どもながらに「いいな」と思っていました。高校生になると海外志向が強くなり、将来は海外で働きたいと考えるようになりました。語学が学べる大学に行き、バックパックで世界中を旅しました。ちなみに大学の頃は「変人」と呼ばれていましたね。

世界の色々な地域で様々な仕事や人に出会って、自分の身体を使って色々な経験をして。それを重ねるうちに「自分でビジネスしたい」と考えるようになりました。互いの言語が違う中でも何とか自分の意志やアイデンティティを伝えようとしている人々に触れる中で、私が潜在的に持っているものが芽生えました。企業に勤めて他人の決断の下で仕事をするよりは、自分の責任の下で決断する方がリスクが少ないとも思いました。当時は父の店を継ぐつもりはなくて、ジャンボジェットや石油を売るような大きなビジネスがしたかったのですが、お金がないのでメモリー商店で働くことにしたんです。

雑貨は単価が低いので、オフィス用のIT機器を販売することにしました。名刺とカタログを持って地域の方に一軒ずつ営業し始めました。と言っても、当時はまだ20歳そこそこで、経営者と話せるような知識もスキルもない。なんとか話を聞いてもらって受注するまでには相当苦労しました。そのうちにメンテナンスサービスも提供したいと考えるようになり、メーカーで研修して、商品とメンテナンスをセットで販売しました。するとお客さんが増えてきて、今度は手が回らなくなり、その頃から人材を採用し始めました。最初は実家のオフィスを使っていましたが、従業員定着のために労働環境を整えなくてはと考え、思いきって本社屋を建てました。

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ユニークな仲間と世界を目指す

本社屋を建ててすぐにリーマンショックが起きました。地場産業の低迷と同時に私たちの顧客も激減。地域の企業の状況に左右されないよう、事業形態を見直す必要がありました。そこで、継続的に購入してもらえる商品を全国に向けて販売しようとEC事業を始めたのですが、今度は東日本大震災が発生。「やっぱり日本だけではダメだ」と、世界を相手にすることを決意しました。どこにもない、世界最高の商品を作るため、当時は非常に珍しかった100%オーガニックのペットフードの開発に取りかかりました。

私たちは後発メーカーなので、どこにでもある商品ではダメ。私たちだからこそ出来るもの、をコンセプトに作り込みました。コンセプトを考えて商品にするところまでは自分たちの努力で出来ますが、それを広げることは受け手がいることなので苦労しました。でも、「私たちが自信を持つことが大事だ」と気概を持ち、泥臭く全国のお客様に会って商品を広めていきました。徐々に導入してくれる販売店が増え、消費者から喜びの声が届くようになりました。その時は仲間と一緒に大喜びしましたね。

当社は現在、情報関連事業やペット関連事業を含めた4つの事業を展開しています。事業を多角化すると多様でユニークな人材が集まり、新たなチャンスやイノベーションが生まれます。また「ガレージから始まった世界的企業を一緒に創ろう!」をビジョンに仲間を集めていて、これからも沢山の仲間と一緒に世の中にインパクトを与える商品やサービスを世界に発信していく予定です。ユニークな社員から生まれたとんがった商品が世の中に受け入れられた時は嬉しいですし、その喜びを仲間と一緒に感じられることが私の仕事の醍醐味です。若者の皆さんには固定概念に縛られることなく、是非大きくチャレンジをしてもらいたいですね。世界は大きく広がっているのですから。

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