- 南雲一郎
- 1961年都立北豊島工業高等学校機械科卒業後、総合設備建設会社に就職。 技術を身につけてゆく中で、海外の技術を見てみたいとヨーロッパへ渡る。 古くからの水道技術に感銘を受け、日本でもその技術を普及させたいと考え始める。 72年に退職した後まわりの協力もあり、73年ジャパン・エンヂニアリング株式会社を一人で起業。 社長として第一線を走り続け、今に至る。
- https://www.japan-eng.co.jp/
よく「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」が大事などと言いますが、順番が間違っています。いきなり結果を報告しても、それが失敗や誤りであれば打つ手がありません。私たちが心掛けているのは「相談・連絡・報告(ソウレンポウ)」。まず相談して認識を共有し、関係者に連絡して協力してもらい、実行してその結果を報告するのです。 相談というのはとても良いことだと思いますね。自分の考えを誰かにチェックしてもらえるのですから。相談することを恥ずかしがったり、自分の考えがスポイルされるんじゃないかとためらったりする人もいるかもしれませんが、まずは相談してみることをお勧めします。最終的には自分で判断すればいいのですから。
太平洋戦争の最中に東京で生まれました。戦争の記憶はありませんが、食べ物がなく母乳が出なくなってとても困ったと母に聞かされました。戦後、田舎から東京の小学校に編入したので田舎なまりが直らずいじめられたりもしましたが、ケンカや相撲が強く、運動も得意だったので一目置かれていました。
機械科の高校を出て就職したのは昭和36年、設備工事を行う会社です。右も左も分からない中、3カ月の講習を受けただけで現場監督として一人で駆り出されました。上司は東京オリンピック施設の建設でみんな手一杯だったので、やり方を教えてくれる人もいなかったんです。休みも思うように取れず、早朝から深夜まで現場で過ごす生活を8年ほど続けました。2~3年目ぐらいでしょうか。高卒では出世が難しいだろうから、どうせ一生懸命働くならいずれ起業したほうがいいなと考えるようになっていました。子供の頃から母親に「何をやってもいいからリーダーになりなさい。自分の思うようにできるから」と常々言われて育ったことも影響していたかもしれません。
現場経験を積んで自信がついてきた頃、海外の水道工事の状態を見てみたいと思いました。当時、日本の一般家庭の生活も急激に良くなって、欧米に追いつけ追い越せというムードはありましたが、水回り環境はまだまだ発展途上だったんです。自動水栓もないし、お湯も出ない。ようやくトイレが和式から洋式に変わりつつある時代でした。会社に無理を言って1カ月以上の休暇を取ると270名くらいで万博の帰り便をみんなでチャーターしてヨーロッパに行き、一人でヨーロッパの文化を見て歩きました。お金もないので野宿やユースホステルを泊まり歩き、持参した日本の切手をコレクターに売って旅費の足しにしました。ナポレオン時代にできたパリの下水道や、ローマ時代の鉛管製給水管に水道橋、デンマークでは水道工事店に交渉して配管材料の種類などを勉強させてもらいました。
起業のきっかけは昭和46年頃、東京都が発注した大規模病院で給水管に使用するフランジ型塩ビライニング鋼管の製造工場は関西にしかなく、最大量使用する関東に製造工場を作ればこれこそビジネスチャンスではと上司に相談すると、「良いところに目をつけたね」と言って協力してくれることになりました。
それを機に起業してからは、よく順調にやってきたと思います。もちろん大変だったことも何度もありますが、私は楽観主義なので、苦労もステップアップのための試練だと思うようにしています。
うちの工場から出荷したものには一切クレームを出さないつもりで厳しい検査を課していますし、サイズや種類など何万通りもある中から毎回違うものを作るので打ち合わせの段階から何度も確認をします。だからコミュニケーションは本当に大事なんですよね。万が一クレームがあっても、いかにお客様に迷惑を掛けないかということを優先しながら解決してきました。ありがたいことにお客様には、「ちょっと高いけどジャパン・エンヂニアリングに頼めば間違いないね」と言っていただいています。
私はよく従業員に「仕事楽しいか?」と聞くんです。社会人は一日の大半を仕事に費やさないといけないわけですから、楽しくなくなったら辞めたっていいと話しています。私はこの仕事を楽しんでいます。まだまだ若い人に伝えていきたいことがあるし、社会の役に立ちたいですね。もう75歳ですから体力的にしんどいこともありますが、それ以外は衰えを感じませんし、まだまだ突っ走っていくつもりですよ。
若い人には先見性を身に付けてほしいですね。強いものよりも、その時代に適応する能力のあるものが生き延びるのだとダーウィンも言っています。現代社会は目まぐるしく変化していますが、創意工夫をしながら変化に対応してほしいですね。将来がどうなっていくのか、世の中の動きにしっかりアンテナを張ってみてください。そして、いろんな人と相談して進むべき方向性を決めてください。そうすれば大きく間違えることはないと思います。