profile
宗次德二
1948年10月14日生まれ、石川県出身。生後まもなく孤児院に預けられ、3歳で宗次家の養父母に引き取られる。高校卒業後、不動産仲介業をしている時に現在の妻と出会い結婚。名古屋市に喫茶店「バッカス」を開店。78年、「CoCo壱番屋」の1号店をオープン。フランチャイズシステムを確立させ、現在は国内外の店舗で1300を超える。
http://www.munetsugu.jp/
※本サイトに掲載している情報は2010年9月 取材時点のものです。

INTERVIEW

私がここまで来たのは、正直成り行きです(笑)。好きな言葉は「行き当たりばったり」ですからね。でも、行き当たりばったりだけれども、その日その日を夢中でやれれば、それで良いんですよ。商品力も価格政策も大事なんですが、想いの中にお客様への感謝を込めていかないと…。ですから、値下げをしたり、キャンペーンで競合を意識したりはしたことがありません。客単価は800円余りなんですが、お客様には800円以上の小さな喜びと幸せを感じ取っていただきたい、と。

起こった全てを受け入れる

宗次德二

中学3年生15歳の頃、戸籍謄本を見る機会がありましてね。よく見てみると、誕生日が違って、親が違って、私の名前が違っていたんです。一緒にいる両親は、養父母になっていまして。「実親:石川県○○」と書いてありました。

ギャンブル好きだったことに愛想をつかし、父の元を母が出ていった後は父子2人暮らし。住む所はすぐに追い出され、食べるものもなく、電気もすぐに止められてしまうので、ろうそくでの生活は15歳の頃まで続きました。ただ、自分でそれらを苦労だと思ったことはありませんでした。ひどい生活ぶりだったんですけど、受け入れていましたよね。自分の家はこういうもんだって。

やがて、養父は病死。でも、誰も相手にしてくれない親子でしたから…。身内までが見放していましたからね。病院の霊安室に一晩置かせてもらって、母と二人だけで葬式をしました。たった一人しかいない家族でしたからね。大好きではありましたね、父のことは。

高校卒業後は、すぐに不動産業界で働き始めました。営業として働き、23歳で結婚。全額ローンで購入した自宅の一室で不動産業を開始しました。平凡ではあったものの、幸せな日々でしたね。もう満足していました。自分はこれで良いんだ、と思っていたんでしょうね。ですから、飲食業をやっていなければ、しがない不動産業者でずっとやっていたでしょう。

  • 宗次德二
  • 宗次德二

出会ってしまった、この天職

妻と、どちらともなく「現金商売をしたいね」という話になりまして…。喫茶店をやることになったんですよ。その喫茶店「バッカス」のオープンがすべての始まりでした。開店して10~15分。ここで衝撃を覚えたんですよね。天職だと思いました。最初のお客様が入り口に見えた時は二人で手をたたいて、「お見えだよ~!!」って。うれしいから自然とそうなったんですよね。そして、その気持ちでずっとやり通したことが良かったのではないでしょうか。

やがてカレーが出前とイートインを合わせると、1日に30~40食くらい出るようになったんです。どこのお店で出しているカレーよりも、私たちのカレーの方がおいしいと思っていましたから、専門店でもいけるんじゃないかと考え始めました。私の場合は、そう思ったと同時に、「そうしよう!」と進み始めているんです。「カレーならここが一番」ってことで「CoCo壱番屋」と名付けました。当時のメモにそう書いてありましたね。

お客さんが少ない頃は1日10人という時がありましたよね。「さくら」の意味も兼ねて、カウンターに座ってカレーを食べていたこともよくありました。食べていると美味しいんですよ。気持ち良さそうに商売していますし。このままやり続ければ、絶対うまくいくようになると思っていましたね。毎月毎月少しずつ上積みをして、2号店3号店…と広がっていったんです。

真面目に目標を常に追い続けている姿勢。これが一番大きかったでしょうね。現場第一でやり通しましたから。現場に出て、店や工場事務所にいれば、社員やお客さんがなにをどう考え、どう要望しているか全部手に取るように分かりますからね。それさえやり続ければ、もう迷うことはないですよね。自称三流経営者の私は、常にそう思っています。「社長の器以上に、会社は大きくならない」とよく言われますけどね、何十倍にも、何百倍にもなりますよ。姿勢さえ良ければ。

ページの先頭へ