- 森下一喜
- 1973年、新潟県生まれ。ソフトウェア開発会社を経て、02年にガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社を設立。韓国のオンラインゲーム「ラグナロク オンライン」を日本国内でプロデュースし、ブレイク。代表取締役社長CEO兼企画開発部門統括エグゼクティブプロデューサーとして、ゲーム開発の制作総指揮をとる。12年にリリースしたスマートフォンゲーム「パズル&ドラゴンズ」は空前の大ブームに。
- https://www.gungho.co.jp/
ゲーム業界は面白いものをつくれば売れるような世界ではなく、ヒットするかどうかは時代やタイミングに大きく左右されます。私たちはどの作品にも魂を込め、命を削ってつくっていますがヒットしないかもしれません。 パズドラがどうしてヒットしたか聞かれれば、私は「運が良かったから」と答えますね。自分たちの実力だと言わないのは、おごらないためです。おごってしまったらゲームつくりはおしまいです。
子供の頃は新潟の自然豊かな田舎に住んでいて、いつも友達みんなを巻き込んで遊んでいました。とにかく面白いことが大好きで漫才師を目指した時期もありましたが、挫折してしまいました。その後、手に職を付けるためにソフトウェア開発の会社に就職して営業の仕事をしました。厳しい会社でしたが、ビジネスとはどうあるべきなのかを身をもって学ぶことができましたし、この時の経験は今でも役に立っていると思いますね。
私は興味のあるエンターテイメント系の企業を中心に営業をかけていたのですが、そうするうちに自分でもエンターテイメントの仕事をしたくなって、同僚と一緒にオンラインゲームのビジネスに参入することにしたんです。経験もないのにゲーム会社に転職するのは簡単なことではありません。それなら自分で会社をつくればいいじゃないか、と。若気の至りですよね。成功したから良かったものの、失敗していたら破産でした。
当時日本でパソコンはビジネスツールとして使われていましたが、韓国のインターネットカフェを視察した時にオンラインゲームが大流行していて、パソコンが完全にゲーム機と化しているのを目の当たりにしました。人だかりができていて、すごい熱気でした。ゲーム単体でも充分面白いのですが、人とつながることでさらに面白くなるのです。この時に「オンラインゲームを日本でも普及させたい」と強く思いました。
オンラインゲーム普及のためにはブロードバンドインフラの整備が不可欠でした。当時はまだISDNが主流でしたからね。そんな時、ソフトバンクの孫正義さんと出会うきっかけがあって、協力してもらうことになったんです。その後、韓国でヒットしていたゲーム「ラグナロク オンライン」を日本に持ち込みプロデュースすると大成功して、同時に会社は上場も果たしました。しかしそれ以降は全然だめでした。会社が目に見えて傾いていったのは、私が経営に専念し始めた頃からでしたね。士気も下がり、エンターテイメントとはかけ離れた生活が続きました。
このころ、大手メーカーの仕事を受ける機会があったのですが、メーカーの姿勢を間近に感じ、ゲームつくりの何たるかを考えさせられました。そもそも何のために会社をつくったのかとじっくり考えたんですが、やっぱり「面白いゲームをつくりたいから」なんですよね。会社の経営ばかりに気を取られて、ゲームづくりの本質を見失っていたんです。そこで面白いゲームをつくるという本質に立ち返るために、私自身が現場で製作総指揮を取ることにしました。その後生み出した「パズドラ」(パズル&ドラゴンズ)は2600万ダウンロードを記録し、爆発的な大ヒットとなりました。
ゲームはユーザーだけじゃなくつくり手側も楽しくないとだめだと思っています。どんなに忙しくて大変でも、つくり手が楽しいと思わないゲームをお客さんが楽しんでくれるはずがないんです。
将来の夢はもちろんあった方がいいと思うけど、ないとダメなわけじゃないですよ。大事なのは今目の前にあることを一生懸命やること。「これは違うんじゃないかな」と思うことでも、とりあえず一生懸命やってみるんです。そうしていくうちに夢が見つかったら、さらに突き進んでいけばいいと思います。