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宮沢勝富士
1976年生まれ、群馬県出身。商業高校を卒業後、家業である群馬建水に入社。入社後は祖父と共に営業や挨拶回りなど、数々の現場を経験。その後祖父が他界し、入退院を繰り返していた父に代わって社長に就任。一から会社を立て直し、現在は年商10億円を超える企業へと成長している。
https://ken-sui.jp/
※本サイトに掲載している情報は2018年3月 取材時点のものです。

INTERVIEW

私は現場あがりの3代目の社長です。社員たちにも現場で多くの経験を積ませて、うちの事業の軸である防水工事の工程すべてを自分でできるようになってほしいですね。できることが多いほど仕事が楽しくなることを私も身をもって経験しましたし、技術の幅を広げることで自分の価値を上げることもできます。いつか独立するときにも大きな武器になるでしょう。そんな人材をどんどん育てていきたいですね。社員の成長が会社の成長や社会貢献につながると信じています。

最初は仕事が嫌で仕方がなかった

宮沢勝富士

今の会社をつくったのは私の祖父です。私は欲しいものは何でも買ってもらえましたし、食べたいものがあればどこへでも連れて行ってもらいました。ぜいたくでわがままで、よく肥えた子供でした。典型的な「お坊ちゃん」ですよね。目立った反抗期もなく、勉強と野球に打ち込んでいました。

中学生になる頃バブルが崩壊すると、建設業界も傾き家業に影響が出てきたので、商業高校に進学し、卒業後はすぐに家業に入ることになりました。私には選択の余地もありませんでしたが、家業を捨ててまでしたいことがあったわけでもなく、今まで不自由なく育ててもらった分、返さなければという気持ちでしたね。でも正直な話、働き始めたばかりの頃は仕事が嫌で仕方がなく、心が折れそうでした。どうしても自分に向いていると思えなくて、転職も頭をよぎったほどです。最初は不安や不満ばかりでしたが、仕事を覚えるにつれて少しずつ自信がついていきました。単独で現場を回れるようになってからは、みんないなくなっても自分ひとりでやっていけるんじゃないかと思えましたね。

その後祖父が他界すると、持病で入退院を繰り返していた父に代わって私が事実上の代表者として会社をけん引することになったのです。同時に、従業員が相次いで会社を辞めていきました。持病のある父や若造の私では頼りなく感じたのかもしれません。先のない会社に人生を預けるわけにはいかないということだったのでしょう。祖父から引き継いだ仕事の取引先にも挨拶に行きましたが、世代が変わっただけとはいえ、すんなりと「引き続きよろしく」というわけにもいきませんでした。会社と会社というのは結局、人と人のつながりなのだと痛感しましたね。

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職人として現場に出続けた日々

会社はとうとう私と父の二人だけになってしまいました。二人ではとても仕事が回りそうにないのでお客様に頭を下げてお断りすることも考えましたが、断るのは嫌いだったので早朝から深夜まで休みなく現場に出続けることでどうにか乗り切りました。自分でひと通りの作業はできますし、これまでの経験を生かした提案もできる。大変でしたが、それ以上に仕事が面白かったですね。仕事の幅を広げるためには、職人として現場に入るのが一番の近道なんです。毎日顔を出して現場のスタッフや取引先とコミュニケーションを取ることで人間関係も構築でき、それが営業にもつながるわけです。現場に出ることを地道に続けるうちに人も増えて、気がつくと年商が1億円に達していました。 その後、3億円、5億円と順調に伸び続け、今期は10億円を超える予定です。これからも現状に満足する事なく、成長し続ける企業でありたいですね。

また、これまでシーリング工事をメインにしていましたが、それだけでは今より上には行けないので様々な種類がある防水塗装を一つひとつ覚えました。全部できるようになったので、社員たちにも伝えているところです。社員たちの技術を底上げできれば、会社としても間口が広がって、より多くのチャンスが転がり込んで来るはずです。

私も就職して間もない頃は仕事が嫌で、どうやって逃げ出すかばかり考えていました。それでも、とにかくやってみることが大事です。それでもだめなら諦めればいいと思いますが、何もしないまま自分で「ダメだ」と決めてしまうのは寂しいものです。若者のみなさんも、頭で判断する前にまずは行動してみてください。一緒にがんばりましょう。

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