profile
光安大輔
1976年、長崎県出身。2001年、日本歯科大学歯学部卒業。02年、日本歯科大学付属病院臨床研修課程を修了し、日本歯科大学付属病院総合診療科へ入局。その後、06年から医療法人大津ヶ丘歯科クリニックに勤務。10年、同クリニックを退職し、同年に光安歯科を開院。14年、医療法人社団翔耀会光安歯科を設立。心のふれ合いを大切にしながら、質の高い医療を提供するとともに、高度先進医療にも力を入れている。
http://www.mitsuyasu-shika.com/
※本サイトに掲載している情報は2023年3月 取材時点のものです。

INTERVIEW

生まれ育った場所ではないところで地域に根付く仕事をするのは大変なことですが、やるしかないと思っていました。一日も早く地域の皆から信頼される存在になるために開業当初から特にホスピタリティーを重視しています。どれほど腕が良くても、対応が悪い医者には二度と行きたくないと思います。私は患者さんと話すことが好きですし、この仕事が楽しいです。

歯医者嫌いな少年が歯科医師に

光安大輔

光安歯科は東京都足立区の五反野駅近くにある地域密着型の歯科医院です。このエリアは東京のベッドタウンで、0歳から90代まで幅広い患者さんがいます。当医院を一言でいうと「患者さんに優しい歯科医院」です。一般的な医療従事者と患者の距離を超えた関係を築いていると思っています。歯科医院に来たくて来る人はいませんし、私も子どものころ歯医者が嫌いだったので、患者さんの気持ちが分かります。だからこそ治療の痛みや患者さんの苦痛を最小限にすること、スタッフ全員のホスピタリティーの向上に努めることで「ここなら安心」と思われる存在を目指しています。

曾祖父、祖父、父も歯科医師で、生まれたときから歯科医院は身近な存在でした。医師家系にも関わらず、私は小学校から大学までずっとバスケットボール漬けで勉強はほとんどしませんでした。年末年始以外は毎日練習や遠征で、上下関係も厳しく、ハードな日々でしたが、バスケットボールを通して諦めない精神を身に付けることができました。両親から「将来は歯医者になれ」と言われたことはなく、幼少期から抱いていた「歯医者は怖い」というイメージが払拭されることもなかったので、すすんで歯科医師になろうとは思っていませんでしたが、結局大学は歯学部に進みました。幼少期からずっと祖父や父の姿を見ていたので、歯科医師になることが潜在意識に刷り込まれていたのかもしれません。

歯学部で学びましたが医師免許取得当初はまだ自分がやりたい領域が分からなかったので、大学病院で研修医として働きました。一言で歯科と言っても小児歯科や口腔外科など様々な診療科があります。特定の科を専門的に深めていく医師もいれば、町医者としてすべての科を扱う医師もいます。研修医として治療にあたりながら色々な患者さんや先生たちと会話するうちに、自分は幅広い患者さんを診る方が向いていることに気付きました。それから先輩が経営する歯科医院で4年ほど働き、経験や患者さんと触れ合う喜びを蓄積していきました。経営者になることへの不安はありましたが、両親や妻の後押しで開業を決意しました。

  • 光安大輔
  • 光安大輔

失敗は存在しない

今注力しているのは、メンテナンスや虫歯予防の啓発です。患者さんが歯科医院を嫌うのは虫歯治療が痛いからです。それならば虫歯にならないようにすればいいのです。そのためにまず自分の口の中の状態を知ってもらい、定期的にメンテナンスを受けてもらうなど、患者さん自身の「デンタルIQ」を上げることが必要です。また、痛みが少ない最新の機械を導入したり、スタッフミーティングでアイデアを交換し合ったり、子供の患者さんには「口を開ける」「機械を入れる」「バキュームを入れる」といった工程を一つずつ進めて徐々に慣れていってもらうなど、日々患者さんの負担を減らすための努力をしています。

私は臆病な経営者だと思います。開業当初は借金があるし、患者さんが来るか分からないといった状況で毎日不安で眠れませんでした。今経営が軌道に乗っているのはスタッフや関わってくれている人たちが素晴らしいから、そして運が良かったからに過ぎません。私自身の力はわずかなものなので、自分を過信することなく、常に周りの意見に耳を傾けるようにしています。経営をする上で大事にしているのは京セラ創業者の稲盛和夫さんの言葉、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」です。私は臆病な一方でポジティブ思考でもあるので、この考え方はとてもしっくりきます。

私の道しるべは「まずやってみる、まず行動する」。頭でっかちになってしまうと最初の一歩を踏み出せません。一歩踏み出せないとその後がありません。ものごとは全部うまくいくことはありません。考えても仕方がないからまずやってみるのです。もちろん失敗することは怖いですが、それを払拭しないと次のステージには立てません。もしうまくいかなくても、失敗ではなく勉強だった、次に生かすための経験だったと思えばいいのです。私もたくさん大変なことがありましたが、一歩踏み出して開業して良かったと思っています。そのおかげで本当にやりたいことができます。そしてそれを通して自分の思いを伝えられます。これからも、歯科医師であり経営者として「我が生涯に一片の悔いなし」と言えるよう努力していきます。

ページの先頭へ

Loading...