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松林保智
1961年生まれ、広島県出身。1986年に順天堂大学医学部を卒業後、同大学医学部付属病院整形外科学教室に入局。94年、千葉県市川市に仁整形外科クリニックを開業。整形外科領域の疾患だけでなく、疾患の要因となる身体症状や生活習慣の改善、新たな疾患リスクの発見といった、診療科にとらわれない診察・治療をモットーとする。日本整形外科学会認定専門医、日本整形外科学会運動器リハビリテーション医。
https://www.jin-c.com/
※本サイトに掲載している情報は2014年2月 取材時点のものです。

INTERVIEW

私の家系は祖父の代から開業医で、当然父親は「頑張って医学部を出て医者になれ」と子供の頃はよく言っていたんです。でも、成長してくるとどうしてもそれに従うのが許しがたくなって、反抗した時期もありました。しかし、父親は僕が医者になりたくないと思っているのを分かっていて、ある日こう言ったのです。「無理に医者になる必要はない。他に何かすごく才能があって、その道で生きていけるのなら、それをやった方がいいと思う。ただ、小さいころから親の仕事を間近で見ているのだから、それはほかの人には絶対にない特殊な良い経験だ。何もないなら、医者の道を選んだ方がいいと思う」と。 その瞬間に、私は「自分は何になってもいいんだ」と一気に解放されました。でも、人は自由になった瞬間に、今度は責任がかかってくるんですよね。自分にはどんな社会の役に立つ才能があるのか、見つけなきゃいけない。結論から言うと、たいしたことができるような他の才能がなかったんですよ。結果、医者の道を選ぶのですが、選択権を与えられた上でのことだったので、それなりに意味があったのかなと思っています。

人を救うことの価値が、天職への道しるべ

松林保智

今の仕事を天職として続けようと思ったのは、医者になってからですね。当直のときに入院していた患者さんの異変を見つけて、すぐにより専門的な医療ができる大学病院に救急車で搬送したのです。実は命の危機に関わるような重篤な病気にかかってしまっていて、見つけたのがとにかく早かったので適切に処置することができたそうです。

それから半年ぐらい経ったある日、病院に見知らぬ方が突然訪ねてきたのですが、その方は私が半年前に大学病院に搬送した患者の息子さんだったのです。「先生が救急車ですぐに対応してくれたおかげで父の命が助かった。一言お礼をしたくて来たんです」と。私としては、その時は医者として当たり前のことをしたつもりだけでしたが、その結果非常に感謝してもらえたのです。とても衝撃を受けました。一人の命はすごく重い。きちんと対処することで、救われる人たちがたくさんいることが分かったわけです。

医療と真摯に向き合うことによって、それはあらゆる時を超えたり、距離を超えたり、さらには人の心の中に残って、ほぼ半永久的に消えないものになるという価値が分かりました。そんな価値のあるものは他にほとんど見当たりません。人の命が救われた瞬間や、病気や怪我が回復した瞬間はその人にとってはターニングポイントになると思うんですよね。医師はターニングポイントを作る仕事だということに気が付いたことが、私にとってのターニングポイントでした。

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領域にとらわれない医療を

私は整形外科医ですが、ひとつの病気や怪我に対応するだけの単純な治療ではなく、「なぜそうなっていったか」という疾患の背景を生まれたときから治療後のずっと先まで、全てを診ようと思っているんです。一般的に、病院は診療科が細かく分類されていますよね。でも、もともと医者っていうのは、全ての科を診ることができるわけです。

私のできる範囲内で、その方の環境や人生など含めて身体の様々な部分や、病気になった原因の把握をして、解析しながら必要なケアを考えていく。そうすることによって、その方の身体の全体像が診ることができ、しかも今後どういう風になっていくかが、把握できるんですね。例えば、腰痛の人を検査したら、高血圧、糖尿病、肝機能障害が見つかった。整形外科医は腰痛が良くなれば終わりですが、私は残りの症状もしっかり治療する。結果的に、寿命を延ばすことになるのです。レントゲンを撮ったときも、整形外科に関係のない部分まできっちりと診断して、結果として臓器などに病気の可能性があれば必要な対処をするようにしています。

医者の資格があるにも関わらず、患者さんをひとつの側面からしか診ることができないのはもったいないと思います。患者さんを360度診ることができ、その人の人生を診断することができるのは、自分にとって非常にやりがいがある。やればやるほど、患者さんや家族にも、信頼だとか喜びとかそういったものを与えられる。与えて喜んでもらえるのは自分にとって一番幸せです。医療を通じて患者さんやその家族と共に人生を歩み、喜びを分かち合うことができる感覚が、自分を突き動かしている原動力ですね。 今後はこのような医療スタイルを確立し、他の医師にも伝えていければと思っています。医療はハード(施設や設備)も大事ですが、ソフト(医師などのスタッフ)がとても大事です。人材を育て、私と同じ思いで患者さんと向き合ってくれる医師が全国に広がっていけば、私が理想とする医療を多くの患者さんに届けることができるのではと思っています。

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