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小泉星児
1979年生まれ。兵庫県出身。2001年大阪ラセン管工業に入社し、取締役に就任。14年、超柔軟な金属製「フレキシブルチューブ」の開発を主導。15年、代表取締役に就任。19年には世界最小クラスの内径1.6ミリの気密性のある「マイクロミニフレックス」の商品化に成功。
https://www.ork.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2022年8月 取材時点のものです。

INTERVIEW

手がけた製品に少しでも不具合があれば徹底的に向き合い、原因を追究することが、メーカーとしての矜持(きょうじ)です。うまくいかなければ別の製品に注力すればいいという考え方もあるかもしれませんが、不具合を「不具合」として片づけるだけでは、本当の意味での技術革新は望めません。悪いところがあるなら良くなるまで改善し、良いものができればさらにブラッシュアップする。その積み重ねこそが技術革新につながると信じています。

不動産業から突然、ものづくりの世界へ

小泉星児

創業100年を超える、フレキシブルチューブ・ベローズ専門メーカーを営む家に生まれ育ちました。当時経営者であった祖母が、会社の昔話や経営への思いをたびたび語り聞かせてくれたことを思い出します。私が将来継ぐと確信していたのでしょう。家には来客も多く、あいさつや礼儀については幼い頃から特に厳しくしつけられました。学生時代、生き物好きが高じてカワニナの研究に没頭し、論文を書くまでになっていました。経営に必要な理論的思考はこの時に培われたように思います。また、生き物を相手にしていると自分の期待通りに物事が進まないことも多く、起こったことに対して「仕方ない」と割り切ることも覚えました。

祖母の後継者となった父は、大阪ラセン管工業とは別に芦屋で不動産賃貸業を営んでいました。いずれ大阪ラセン管工業は兄に、不動産会社は私に継がせようと考えていたようです。大学を卒業すると、父に言われるまま不動産会社に入社しました。家賃の回収から経営にかかわることまで幅広く経験させてもらい、やりがいを感じながら働いていたのですが、転機は突然訪れました。兄が大阪ラセン管工業を継ぐことができなくなり、急きょ私が代わりを務めることになったのです。全く違う分野の新しいことをまた一から覚えるのは容易な事ではありませんでした。

初めの1、2年は現場に立つかたわら、子供の頃から顔を知る技術部長から手厚く教育を受けました。金属製のフレキシブルチューブは、ゴムなどの素材に比べて耐熱性や耐久性、放熱性が高く、高温で過酷な状況下での燃料供給や電装系用の配管として使用されてきたこと、また製品に使う金属の素材にも様々な種類があること、近年は電気や水道、ガスなどのインフラ設備や半導体製造装置などのハイテク産業にも当社のフレキシブルチューブが採用されていることなど、製品に関する知識を基礎から叩き込まれました。社長に就任したのは入社から5年目、父が病気で亡くなったタイミングでした。父の闘病中から、事業承継の準備と心積もりは少しずつ進めていました。「よそ見をせず、本業をしっかり」という父の方針は、今も大切に守り続けています。

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自分たちにしか作れないものを

現場にいた頃は、社長である父と従業員の間を取り持つ役割をしていたため、社長就任後も従業員との距離感に悩むことはありませんでした。今も現場に足を運び、従業員たちとコミュニケーションを取ることを欠かしません。従業員たちと率直に意見を出し合える関係でいることで、世の中に必要とされる製品を生み出すことができると感じています。

これまで、他社のどの製品よりも柔軟で微細で高耐圧なフレキシブルチューブを追求してきました。20年前は、当時世界最小クラスの内径3ミリフレキシブルチューブ「スーパーミニフレックス」を発売しましたが、他社も追随し始めたことから、2019年にさらに小さな内径1.6ミリの「マイクロミニフレックス」を開発しました。限界に挑戦するつもりで手掛けたため、売れることは期待していませんでしたが、センサーや医療など、これまでかかわりのなかった分野からも発注やお問い合わせをいただくようになったのです。また、14年に私の主導で開発した「ワームフリーフレックス」は超柔軟性と高い耐久性を併せ持ち、ISS(国際宇宙ステーション)内の装置にも採用されています。現状に甘んじることなく技術を磨き続け、自分たちにしかできないものを作り出すことが私たちの至上命題です。東京と大阪の2カ所のみだった営業所は、3年前に九州と東北にも拠点を増やしました。営業力を強化し、私たちの技術を生かすことができそうな新しい分野に果敢に切り込んでいきたいと思います。

人生には、思いもよらぬことが起こります。私は高校生の時に阪神淡路大震災で被災し、家も学校も失ったことがあります。数年前には台風に見舞われ、工場が被災を受けました。今の新しい社屋はそれを機に建て直したものです。人の力ではどうしようもないこともありますが、そんな時は起きてしまった事をいつまでも悔やむのではなく、「仕方ない」と諦めてみることも大切です。その切り替えができれば、自分も周囲の人も前向きな豊かな人生になります。

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