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北尾吉孝
1951年生まれ。兵庫県出身。74年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、野村證券入社。78年、ケンブリッジ大学経済学部卒業。野村證券NY拠点勤務後、ワッサースタイン・ペレラ社常務取締役、野村企業情報取締役などを経て、95年ソフトバンク常務取締役に転身。99年、ソフトバンク・インベストメント(現SBIホールディングス)代表取締役社長に就任。
https://www.sbigroup.co.jp/
※本サイトに掲載している情報は2010年8月 取材時点のものです。

INTERVIEW

私が手掛けているインターネット金融の魅力は、インターネットの進化とともにマーケットも拡大していくところにあると思っています。 これまで大変だったことはたくさんありますが、あまり苦労したような記憶がないんです。苦労を苦労だと感じないのかもしれません。妻には「あなたの周りの人はみんな胃に穴が開いているわよ」なんて言われますけどね(笑い)。私はありのままを天命と受け止めて事業と向き合っています。

大学で経済の魅力に開眼

北尾吉孝

代々、大阪で船場の商人をしている家に生まれました。子供の頃は成績も別に良くなかったし、ごく普通の子供でしたね。高校生の時に医者に憧れ、大学は医学部に進学したいと思うようになりました。しかし医学部には入れず、合格した慶応義塾大学の経済学部へ進学しました。経済の勉強は思いのほか面白くて、その魅力にどんどんひかれていきました。経済構造が社会のあらゆるところに影響を及ぼすことを学び、ものの見方や考え方が練れたような気がします。

卒業後は野村證券に入社しました。配属されたのは総合企画室。会議の書記を務めながら、今会社の中でどんなことが問題になっているのか、誰がどのような役割を担っているのか、いろんなことを必死に吸収しました。

その後、会社の制度でケンブリッジ大学経済学部へ留学し、帰国後は海外投資顧問室やニューヨーク拠点、ワッサースタイン・ペレラ・インターナショナル社(ロンドン)等、世界中を飛びまわるようになりました。野村證券に在籍した21年の間に、57カ国ぐらい訪ねましたね。そこで感じたのは、お客様との信頼関係が構築できていないと、どれだけ説明に時間を費やしても買ってもらえないのはどの国でも同じだということです。「この人が言うなら」とお客様に思ってもらえなければダメです。私は自分を信用してもらうために、相手が求めているものが何なのかをひたすら追求しました。「彼を知り己を知れば百戦危うからず」です。猪突猛進でぶつかっていくだけのセールスはしたことがありません。

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孫正義氏との出会いは「運命」

99年、中間持株会社としてソフトバンク・ファイナンスを立ち上げ、証券など金融事業の展開に力を入れ始めました。私が注目したのは金融とインターネットの親和性の高さです。まだ日本でインターネットが本格的に普及する前でしたが、インターネットが持つ変革力や影響力の大きさ、将来性は予見していました。インターネットで金融のシステムを展開できれば、店舗や人員、手数料などのコストを軽減できますし、より多くの情報を迅速に提供することも可能になります。きっと世の中の役に立つシステムになると確信しました。母体のソフトバンクから完全に独立した後は、銀行業や保険業にも進出しました。

今後は、新興国など海外での事業展開に力を入れていきたいと思っています。国内で培ってきたインターネット総合金融グループとしてのノウハウ・経験を活かしていくことで、世界に貢献できる企業でありたいのです。

私たちの寿命はいつ尽きるか分かりません。明日かもしれない。だから、若い人たちには時間を大切にしてほしい。与えられた本分をまっとうしてください。学生に与えられた本分は勉強です。社会勉強なんて社会に出ればいくらでもできるのだから、学生にしかできないことを思いきりやってほしいと思います。

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