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木村修
1964年生まれ、京都府出身。90年、京都府立医科大学医学部卒業後、同大学院修了。京都府立医科大学附属病院、宇治徳洲会病院、京都第一赤十字病院、ロンドン大学医学部 UCL 小児外科等を経て、2018年に東京CAクリニック院長に就任。21年東京CAクリニックに改称。
https://tokyoca.jp/
※本サイトに掲載している情報は2021年4月 取材時点のものです。

INTERVIEW

大病を患った人は、出会うお医者さんによって運命が決まってしまいます。進行がんでなす術がなくなり失意の底にいる患者さんが、助けを求めてここに来られます。「やっとたどり着けた」と涙します。もちろん全員を助けられるわけではありません。しかし、どんなに厳しい状況でも「一緒に闘っていきましょう」と患者さんやご家族の不安な気持ちに寄り添えるクリニックだから、多くの方に希望を持っていただけるのだと思います。

標準治療が限界だとしても

木村修

医師になると決めた時から、難しい問題に挑みたいと考えていました。家に帰ることもままならず睡眠時間も命も削られる仕事ですが、どうせ削られるなら子供の命を救いたいと思って小児外科を選びました。小児外科は、特定の臓器を診るのとは違って、常に年齢や体格の異なる患者さんの全身管理をするので、後にがんの免疫治療を発展させていく上でこの経験が非常に役に立ちました。
現在は、都内のクリニックで主にがん患者さんのための免疫療法に力を入れています。免疫療法は、がんを倒してくれるリンパ球という免疫細胞に刺激を与える治療法です。がんは早期発見で治る病気になりつつありますが、進行がんの標準治療には限界があり、最終的に延命治療か緩和ケアを勧められてしまいます。
標準治療が無理なら、他にできることがないか必死で考えるのが医師のあるべき姿ではないでしょうか。がんに限らず、「こういう病気だから仕方ない」と医師が言ってしまえばそれ以上の医療の進歩はありません。患者さんを診て、病態が起こっている原因をひたすら考え抜くことで、見えてくるものがあります。私のクリニックでは日々その繰り返しでより良い治療方法を模索しています。そこまでする理由はただひとつ。目の前に命が消えてしまいそうな患者さんがいるからです。
答えは患者さんの中にあるというのが私の信条です。自分が作ったシナリオに患者さんの病態を当てはめるのではなく、目の前の患者さんを診て、自分の視点を変えていくことが大切です。自分の視点が偏っていないか、独善的ではないか、常に疑ってかかります。

  • 木村修
  • 木村修

批判よりも、患者さんを治せないほうが辛い

私たちが提供する免疫療法は抗がん剤をほとんど使用せず、副作用が非常に少ないので、がんが小さくなりはじめると患者さんはとても体調が良くなります。完治は難しくても、余命を伸ばすことができた方はたくさんいらっしゃいますし、その余命は病院のベッドの上で過ごすのではなく、普通の暮らしができる時間です。ある患者さんは末期がんで起き上がることもままならない状況でしたが、治療によって食事もできるようになり、自由に動いて身なりに気を使うことができるほど元気になりました。結果的に他の病態で亡くなりましたが、それまでの間、旅行にも行けましたし、高齢のお母様にも会えたそうです。
小さなクリニックですが、ここにいるスタッフや患者さんはみんな希望を持って前向きに治療をしているので、来院した方は「ここに来ると安心する」と言ってくださいます。意気消沈している患者さんに「望みを捨てなくてもまだ可能性はありますよ。一緒に頑張りましょう」と温かく声を掛けてあげることで、食事がのどを通るようになったり良く眠れるようになったりしたケースを何度も見ました。
残念ながら患者さんを助けることができなかった時こそ、原因を徹底的に追求しています。これがとても大切なことで、私のクリニックで治療方法を高頻度でアップデートできているのは、助けられなかった患者さんたちのおかげともいえるのです。治療が進化する度に「今ならあの患者さんを助けられたかもしれない」という思いにさいなまれますが、それは最先端治療を追求する医師の宿命であり、一生続くのでしょう。その苦しみから逃げずに向き合うことが、新たな患者さんの命を救う道だと思います。
教科書通りの治療から外れたことをすると、いろんな方面から批判を浴びます。でも私が向き合う相手は彼らではなく患者さんなので、気になりません。どんな批判も、目の前に患者さんがいれば忘れてしまいます。私にとって批判されることよりも、患者さんを治せないことの方がストレスですから。

進行がんの人がみんな最後まで闘うべきだとは思いません。80歳を超える私の両親は「もし進行がんになったら治療はしない。もう十分生きた」と話しています。それも一つの考え方です。いろんな考え方がありますし、途中で考えが変わることだってあると思います。「1年だけで十分です」と話していた末期がんの女性は、治療を受けて1年経った頃に「1年と言わずできるだけ長く生きたいと思うようになった」とおっしゃいました。2年過ぎた今もお元気です。
病気との向き合い方は人それぞれですが、病気に打ち勝つためにたくさんの人が前向きに頑張っている場所があるということを、もっと多くの人に知ってほしいと思います。

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