- 河田正也
- 1952年生まれ。山口県下関市出身。一橋大学経済学部卒業後、75年に日清紡績株式会社(現 日清紡ホールディングス株式会社)に入社。88年、日清紡カリフォルニアに出向。営業職や人事職などで様々な役職を歴任し、2009年より取締役執行役員に就任。経営戦略センター副センター長や新規事業開発本部長などを経て、13年に代表取締役社長、19年より現職。
- https://www.nisshinbo.co.jp/
私たちは、「挑戦と変革。地球と人びとの未来を創る。」という企業理念のもと、「環境・エネルギーカンパニー」グループとして、持続的な社会の実現に貢献することを使命としています。 分社化し持株会社制に移行した2009年から、会社は新たなステージに入っていきました。13年に社長に就任してから時代環境・事業環境の変化を踏まえて、グループ経営・グローバル経営を加速させ、多様な社会に役立っていけるよう企業価値を高めていくこと、ガバナンス改革を着実に進展させることに注力してきました。掲げた企業理念と使命は、変わらざるものとして堅持する一方、企業理念や使命にそぐわないこと、グループ企業価値の向上に寄与しないことは、従来のやり方に固執せず、常に変革し続けていかなければなりません。すなわち、「変わらざるために、変わり続ける」ことが重要だと考えています。
1975年に入社し、今日まで転勤転籍は16回を数え、その都度、新たな任務や人間関係構築にあたり緊張と挑戦を積み重ねながらあっという間に今日まで来ました。振り返れば、やりがいも多かった半面、あの時もっとこうしておけばといった反省や失敗も多々あります。
入社当時、社名の通り繊維事業が主業で売上の8割(今は1割)を占め、その営業部門で5年間勤務し、お客様や社内関係部署との調整、在庫掌握から代金回収の業務など慌ただしい日々を過ごしながら信頼関係をつくる大切さを学びました。88年、カルフォルニアに新会社を立ち上げる際に人事担当として赴任しました。初の海外勤務です。はじめに採用した現地人事マネージャー・スタッフとともに、順次数百人の工場勤務者を募集採用していきました。現地社会の仕組みも多様性のレベルも日本とは大きく異なり、これまでの人事の経験ノウハウの多くは通用せず、戸惑いや人事マネージャーとの衝突もありましたが、なんとか業務を進めることができました。このとき、多面的で柔軟な視点、迅速な対応が必要なことを強く実感しました。その後、グローバル化は加速し、日本社会も多様性を取り込む時代ですが、さほど驚くことなく前向きに考えていけているのは当時の経験のおかげとも言えます。益々高まっているグローバル社会の複雑さや不確実さも、むしろ新時代のニューノーマルととらえる覚悟が必要だと思います。
持株会社制に移行した10年前と比べて、グループ全体の売上高、従業員数、連結子会社数はいずれも2倍以上に増え、海外比率もほぼ半数以上に高まってきました。25カ国・地域に100以上の連結子会社があり、2万7千人の従業員のうち1万4千人が外国籍の人たちです。グループとしての求心力を高めていくこと、それぞれのローカル特性やサブカルチャーを生かすこと、シナジーを発揮して全体最適を目指すこと、これらをバランスよく進めていくことが一層重要になってきます。また、経営方針会議などで各拠点のリーダーが方針・方向性について、共通認識と強い当事者意識を持つこと、そして全員参画型経営を浸透させていくことが今後とも必要です。まだまだ道半ばですが、冒頭に述べた企業理念や使命を各人が具体的な行動をもって体現していくことが、企業価値向上につながるものと考えています。
若い皆さんに期待したいことは、「自分自身は何をやりたいのか」「他の誰かではなく自分だったらどうしたいのか」ということを、当事者意識をもって自問自答しながら、そのための目標を立てていただきたいですね。それが、社会に貢献できる方向と合致していることを確認しながら、誇りをもって行動していかれればと思います。
とくに今の若い方々はデジタルネイティブやグローバルの最前線で活躍されることが期待される世代でしょうし、世の中は想像もできないようなスピードで進化発展を遂げていくことは間違いありません。その中で広く外に目を向け、複眼的思考を持つこと、物事は一面では決めつけられないことを実感してください。自分自身の強みや好みを発揮できる場を見い出し、様々な世界でたくさんの刺激を受けながら、自身の向上の糧にしてください。それが目標へ近づく大きな一歩になるはずです。
Loading...