- 金森あかね
- 1990年、兵庫医科大学卒業。93年名古屋大学産婦人科所属。98年、地元の産婦人科医院勤務、 第二日赤病院NICU研修、国際認定ラクテーション・コンサルタント(IBCLC)取得。ロサンゼルスのラクテーション・インスティテュートにてSuck Intensive受講。2004年、あかね医院開院。7児の母。
- https://www.akane-clinic.net/
女性にとってキャリアを築くことは重要なことですが、子どもを産み育てる権利も同じぐらい大切ではないかと思います。子どもを預けてバリバリ仕事に集中したいと考えるお母さんがいる一方、家庭で子育てに専念したいと考えるお母さんもいるでしょう。女性の社会進出が当たり前になった今、後者は少し言いにくい風潮がないでしょうか。考え方は人それぞれですが、もっと「自分はこうしたい」ということを、声を上げることが大事だと思います。そうすることで、社会が少しずつ変わっていけばいいですよね
私の両親は「人のためになる医療を」という理念のもと、岐阜の田舎で開業医をしていました。私が医師を目指すようになったのは、両親の影響が大きいと思います。外科医として研修していた時に妊娠・出産したのを機に産婦人科へ移り、産婦人科医になりました。
私が出産したクリニックでは母乳育児を推奨していたので自然に母乳育児ができ、それが普通だと思っていたのですが、産婦人科医になった時、母乳育児ができるのが当たり前ではないことに初めて気がつきました。多くの赤ちゃんが生まれてすぐにお母さんから離され、糖水とミルクを飲んでいたのです。もちろんミルクでも立派に赤ちゃんを育てることはできますが、母乳で育てたいと考えているお母さんには手助けをしてあげたい。そんな思いで、母乳育児支援の活動を始めました。
勤務医として忙しく過ごしていましたが、7年目に、自宅兼医院を建てて、あかね医院を開業しました。きっかけのひとつは、鍵っ子だった自分の子どものためです。仕事をしながら、すぐ近くで自分の子どものことも気にかけてあげられる環境があればいいなと思ったんです。開業当初、私には5人の子どもがいました。一緒に働いてくれているスタッフの中にも子育て中の人はたくさんいます。全員で協力し、子どもの発熱などでの急な欠勤もカバーし合い、とても働きやすい雰囲気が醸成されています。院内にも託児所があって、スタッフはいつでも自分の子どもに会うことができます。
開業後さらに2人出産し、今は7人の子どもを育てながら仕事をしています。これも優しく優秀なスタッフたちのおかげです。私はスタッフたちをぐいぐい引っ張っていくタイプではありません。スタッフの長所を引き出し、その能力を生かして活躍できる環境を整えながら、みんなでクリニックを作り上げています。
クリニックでは自然分娩と母乳育児支援に力を入れていますが、「こうじゃなきゃいけない」と押し付けることはしません。本来、女性に備わっている力を引き出してあげるのが私たちの役割です。いつも弱音を吐いていたような妊婦さんでも、いざ分娩を迎えると命がけで頑張る姿を何度も見てきました。その度に「母は強し」だなと感動を覚えます。
産むのは分娩台じゃなくてもいいんです。自分の楽な体勢で好きなように産むことができ、それを私たちが全力でサポートします。もちろん、状況に応じて促進剤を使うこともありますし、帝王切開に切り替わることもあります。どんなお産であっても、妊婦さんの気持ちに寄り添ってあげるように心がけています。妊婦さんを何よりも不安にさせるのは一人で放置すること。助産師さんができる限りそばにいて腰をさすってあげるだけで、妊婦さんの不安は軽減されるものです。
母乳育児も軌道に乗るまで時間がかかることもありますが、一方的にアドバイスするよりも「大丈夫だよ」と寄り添ってあげることを大事にしています。お母さんの話を丁寧に聞いて思いをくみ取ってあげるだけで結論を出せることもあるからです。産んで退院したら終わりではなく、産後も継続的な支援を提供するために、赤ちゃんを連れていつでも遊びに来ることができるスペースも設けています。
また、育児困難や虐待などを防ぐために、何か力になることができないかと考えているところです。現在はコロナウイルスの影響で活動ができずにいますが、若い世代への性教育、生きること、生まれることへの理解を深めるために小中学校などを中心に訪問し「いのちの授業」を実施しています。
若者の皆さんにアドバイスを送るとしたら、人から教えらえることを素直に聞くことも大切ですが、それを自分の中で消化して、自分自身の心の声に逆らうことなく進んでほしいと思います。
世の中にあふれる情報や知識ばかりに捕らわれず、感性を養って「自分」というものを作り上げていくと、道が開けるのではないかと思います。
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