- 神谷健二
- 1968年神奈川県生まれ。91年、城西大学理学部を卒業後、日立情報ネットワーク(現・日立システムズ)に入社。製造業向けシステム開発を20年担当。その後、社内における新規事業立ち上げなどを経て2016年に退社。同年、湘南イノベーションを設立。
- http://www.shonan-innovation.co.jp/
法人向けのシステム開発を手掛けていますが、オーダーされたものを作るというよりもクライアントと二人三脚で一緒に作り上げていくイメージで取り組んでいます。この仕事に技術が必要なのは当然ですが、コミュニケーション能力も欠かせません。話上手なエンジニアばかりではありませんが、一番大切なのはクライアントのニーズや課題を見極め、求められている以上のものを提案する気概を持つことだと思います。
大学時代は理学部でプログラミングを研究する少しマニアックなゼミに所属していました。パソコンがまだ珍しかったころでプログラミングと言っても今のような高度なものではなく単純な計算のプログラムが主流でしたが、これから飛躍的に進化していく可能性を感じてわくわくしました。バブル最盛期で社会全体に勢いのある時代でしたから、私も何か大きなことをやってみたいという漠然とした夢を持っていた気がします。
大学を卒業すると日立製作所の傘下である日立情報ネットワーク(現・日立システムズ)にプログラマーとして就職し、工場運営に必要な基幹システムの開発プロジェクトに携わりました。経験を積むにつれてプログラマーからエンジニアへと昇格し、その後はマネージャー職としてプロジェクトの管理を任されるようになりました。新規プロジェクトを立ち上げる責任者に選ばれた時の喜びは今でも忘れられません。プレイイングマネージャーとして2つのプロジェクトを立ち上げたことは、エンジニアとして大きな自信につながりました。さらに部長に昇格すると、全体の管理の仕事が中心になりました。このころからもの足りなさを感じるようになりました。
まだプレイヤーとして開発にかかわりたい、せっかく培った自信や経験をもっと現場に生かしたいという気持ちを抑えられず、独立して今の会社を設立しました。自分の好きなことをしたくて作った会社ですが、たった一人でのスタートだったので、最初は下請けとして要求されたことをこなすだけで精一杯でした。人手が増えてくると、ようやく高いレベルの要求に応えることもできるようになってきました。同時に、自分だけではなく従業員とその家族の生活まで背負うことになったので、責任の重さも感じました。
現在30人を超える社員がいて、全員がシステムエンジニアです。ここ数年は新卒採用に力を入れていましたが、製造業や金融系など幅広い業種の基幹システムを開発したいので、その分野のシステムに強い経験者がいると心強いと思っています。海外経験のある人とも一緒に働いてみたいです。しかし私たちがエンジニアにもっとも求めることは、「こういうことを実現したい」という明確なビジョンを持っていることです。たとえば中国出身の社員がいますが、日本では手に入らない中国のお酒がどうしても飲みたくなったことがきっかけで、私たちの会社で日本在住の中国人向けECサイトを立ち上げ、母国の製品を手軽に入手できるルートを確立したという例がありました。そもそも私が面白いこと、新しいことをやりたいという思いで立ち上げた会社なので、社員がやってみたいことがあるなら、会社としてサポートを惜しみません。どんどん新しいことに挑戦して、達成できた時の喜びを味わってほしいと思います。
社員たちには、どんな技術者を目指したいか、イメージを持つように伝えています。しかし日々の仕事では思うとおりにならないこともあります。そういう時には最終的なゴールはブレても構わないと思います。まずは目の前の小さな課題を一つずつクリアしていくことが大切です。社員一人ひとりが面白いこと、やってみたいことを突き詰め、その道のプロフェッショナルになってくれれば、会社としても成長し、もっといろんなことができるようになるはずです。
若者のみなさんには常に目標を持っていてほしいと思います。そして失敗を恐れずにいろいろなことにチャレンジしてください。大きな目標だけを見て突き進むと息切れしてしまうので、それを達成するための小さな目標を段階的に設定して、日々努力するといいと思います。みなさん一人ひとりの力の結集が大きなイノベーションにつながっていくと信じています。
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