- 石亀一昭
- 1956年生まれ。北海道出身。北九州電気短期大学自動車整備科を卒業後、札幌日産自動車に就職。81年、青年海外協力隊としてマレーシアに2年間滞在。98年、株式会社クレタ設立。
- https://kereta.jp/
収入が増えたり出世したりするのも大事なことですが、お金の「得」よりも人としての「徳」を積んだほうが最終的には幸せを感じられるのではないでしょうか。私たちの目標売上高は100億円ですが、お金をもうけたいというよりも、多くのお客様と出会うことで、私たちの理念に賛同してくださる方が一人でも増えればうれしいです。道民の皆様と一緒に北海道を元気にしていきたいという思いです。
海外に興味を持ち始めたのは小学生の頃でした。日本車が続々と海外に輸出されていく様子を新聞で知り、テレビでお気に入りの旅番組を見るたびに、海の向こうの遠い国々に思いを馳せたものです。高校生で進路のことを考えた時に、自動車関係の仕事に就けば海外に行けるチャンスがあるかもしれないと思い、九州の自動車整備科のある短大に進学しました。オイルショックを経て、ディーゼル車が普及し、燃料を供給するキャブレターはコンピューター制御のインジェクションに代わり、自動車業界は激動の時期を迎えていました。卒業すると北海道に戻り、札幌日産自動車株式会社に就職しました。
社会人5年目の時、長年の夢をかなえるチャンスが訪れました。新聞で青年海外協力隊の募集記事が目に留まったのです。すぐに応募し、マレーシアに赴いて自動車整備の専門学校を作り、2年間指導にあたりました。マレーシアはもちろん素晴らしいところでしたが、住み慣れた日本の良さを改めて実感しましたし、特に地元北海道の四季折々の美しい自然や美味しい食べ物を恋しく思いました。
帰国後は再び札幌に戻ったのですが、バブル崩壊の影響で地元の北海道拓殖銀行は経営破綻し、日産もルノーに吸収合併されるという噂が飛び交い、社会情勢は不安定でした。経済状況が悪化すると、社内の人間関係もぎくしゃくします。次第に仕事がしづらくなってきて、独立を決意しました。
時期は冬の終わり頃、個人で自動車販売業を始めました。ふと、これから暖かくなって山に出かける人が増えると、スズキのジムニーのような小型の四駆は需要があるのではないかと考えたんです。周辺の販売店でジムニーを買って回り、一堂に集めて販売しました。同じ車だけを並べて販売するスタイルは当時珍しく、次第に注目されるようになり、それ以来、軽自動車の専門店として道内に店舗を増やしていきました。
事業が軌道に乗ると従業員が必要になり、新卒の社員を採用し始めました。そして、彼らと接する中で、多くの若者が奨学金の返済に苦労していることを知ったのです。これは北海道全体の問題で、奨学金利用率は全国平均よりも高く、全国学力テストの成績と大学進学率は低迷しているということも知りました。以来、私たちも北海道の一企業として、販売台数を伸ばすだけではなく、地域社会の課題を解決していきたいという意識に変わっていきました。普通車から軽自動車に乗り換えることで、5年で100万円の維持費を節約することができます。その分を子供の教育資金に投じる人が増えれば、北海道の教育水準は向上し、優秀な人材を生み出すことにつながるはずです。
また、北海道の資産である美しい自然を守りたいという思いもあります。枯れ木や草を通して吹いてくる風の香りや美しい緑は、北海道の宝です。昔、新婚旅行でスイスに行った時、ホテルの窓を開けるとたくさんの車が走っているのが見えるのに、とても静かだったのが印象的でした。何十年も前ですが、電気自動車が普及していて、みんなが環境を守る意識を持っているのを感じたのです。北海道はまだそういう意識が高くありません。かっこよさやステータスで大きな車や大排気量の車に乗っている方が多いですね。低燃費な軽自動車を通じて、環境を守ることの大切さを訴えていきたいです。
起業当初はCS(顧客満足度)を第一に考えていました。しかし北海道が抱える様々な地域課題に直面し、SS(社会満足)を意識して取り組むようになったことで、CSやES(従業員満足度)も向上してきたと感じています。
会社が大事にしていることを発信し、課題に取り組む姿をお客様に見ていただくのは大切なことです。声に出してアウトプットすれば、自分の言ったことに責任を持とうとしますから。社員たちは、北海道を元気にするために行動を起こしてくれています。でも、街づくりはすぐに効果が出るものではなく、世代をまたぐ大きな課題ですから、現状に一喜一憂せず、着実にやっていこうと話しているところです。
若者の皆さんにも、自分の事だけではなく、自分の経験を通して周囲の人を幸せにできるような人になってほしいと思います。
Loading...