- 稲垣裕介
- 愛知県出身。大学卒業後、アビームコンサルティングに入社。プロジェクト責任者として全社システム戦略の立案、金融機関の大規模データベースの設計、構築などに従事。2008年に新野良介氏、梅田優祐氏とともにユーザベースを創業。ビジネスユーザーの経済情報メディアとして定着した「News Picks」をはじめ、様々なサービスを展開。21年から、同社の代表取締役社長に就任。佐久間衡とともにニューズピックスの代表取締役 Co-CEOも務める。
- https://www.uzabase.com/jp/
高校の同級生だった梅田優祐氏に誘われことがきっかけで、順調に重ねてきた企業でのキャリアを捨て、ユーザベースを創業しました。手探り状態で事業を進めながら、一歩ずつ信用を重ね、今は若いビジネスユーザーから支持してもらえるサービスやコンテンツを提供できる組織を作ることができました。首都圏を中心に展開を続けてきましたが、今後は地方や世界へ目を向け、さらなる進化に挑戦します。
この会社を立ち上げたきっかけは、高校の同級生だった梅田優祐氏との出会ったことです。当時から仲が良く勉強や遊びも一緒で、大学の進路選択も願書を出す前日に「東京に行こう」と彼から誘われたことで東京の大学に決めたほどでした。大学時代は起業を夢見る学生たちと同じで「他の人より特別でありたい」「ビジネスで成功したい」という思いが強かったので、梅田氏と起業家選手権に参加したこともあります。当時それほどビジネスの勉強をしていなかったので、結果は惨憺(さんたん)たるもので自分たちの力不足を痛感しました。そのとき「社会に出て力をつけよう」と二人で話し合い、私はIT(情報技術)系コンサルティング会社のアビームコンサルティングに就職し、一時梅田氏と別の道を歩みました。
会社員時代のことは楽しい記憶しか残っていません。ほとんど素養のなかったプログラミングを先輩から教わりました。他の人より早く良いものを作れば評価を受け、給与も増えていく。そのシンプルな仕組みが私の性に合っていたので、次々に責任ある仕事を任されるようになり、入社2年目で初めてプロジェクトチームのマネジメントを任されました。睡眠時間は毎日数時間で、土日も仕事という生活でしたが、それでも楽しくて仕方ありませんでした。
それから数年後、私が25、6歳の時に、梅田氏から「一緒にやろう」と誘われました。そのとき彼は、私たちが今も提供しているサービス「SPEEDA」の原案も作っていました。アビームでの仕事は充実していて、友人関係も広がり収入も申し分なかったので、どうしようかと迷いました。しかし友人から起業に誘われる経験などもう二度とないだろうと考え、一緒に踏み出そうと決意しました。少し照れくさいのですが、起業選手権に出場した後「将来、お前の作りたいものなら俺は作るよ」と約束したことを果たしたいと思ったのも確かです。
起業した時はここまでこの会社が成長するとは想像もしていませんでした。それよりも信頼できる仲間と楽しくものづくりができればいいという心境でした。梅田氏に見せられた「SPEEDA」の原案も意味こそ理解できましたが、ピンと来ない部分もありました。その中でこのサービスの手応えを感じたことが二度あります。一つは、膨大な企業データなどを格納するこのデータベースに最速でアクセスできるようになったときです。一般的なオープンソースだけを使い約15秒にまで短縮できたことで、「これはいける」という自信を持つことができました。もう一つは重要な商談の際には私も同席して目の前でデモ画面を使いながら説明をした時です。お客様の表情がどんどん変わり、前のめりになってきました。その姿を見てこのサービスの強さを確信することができました。その後創業当初に掲げた「10年で売り上げ100億円」という目標を達成し、次の目標に向かって走り出せる環境が整ったというのが今の気持ちです。
次の目標は当社のサービスをより広げていくことに尽きます。特に「News Picks」は、首都圏では数多くの人たちに利用してもらい、今では教育現場にも導入してもらえるようになりました。しかし、地方ではまだ十分とは言えません。もっとアプローチの方法や価格設定を検討し、日本の隅々にまでこの価値を届けていきたい。そうなれば各地方が抱える課題を突破するアイデアが生まれ、全国各地を活性化させられるだろうと思っています。
また、グローバルな視点にも力を注ぎたいと考えています。以前当社が展開した「Quartz」というニュースサイトは新型コロナウイルス禍の中で軌道に乗せることができず、撤退しました。しかし一方で大きな収穫もありました。これまで私たちが展開してきた日本語サービスと比べ、英語を主体とした「Quartz」は2〜3000万人のユーザーのうち米国の人は半分だけで、もう半分はいろいろな国の人が利用していました。英語をベースにするだけでいろいろな国に拡散できるとわかったことが衝撃的でした。この経験を糧に、国内のスタートアップ企業ではほとんど成し遂げられていない、世界での成功に挑戦したいと思っています。このローカルとグローバルでの成功を目標に、今後も走り続けていきます。
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