- 長谷川聖仁
- 1987年7月生まれ、愛知県出身。高校卒業後3年の修業ののち、2008年、聖工務店設立、代表就任。13年、法人化。聖工務店代表取締役に就任。
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高い技術を持つ職人は建築業界にいくらでもいます。もちろん、うちの従業員にも立派な職人はたくさんいますが、まずは人として成長してほしいと思っています。そしてかけがえのない仲間と出会ったり、幸せな家庭を持ったりしてほしいです。お金は後からついてきます。人として優しさや思いやりを身に着ければ、どの世界でもやっていけるはずです。こんな私でもやっていくことができていますから。お客様から「素晴らしい職人さんですね」「良い教育をしていますね」と従業員のことを褒められるのが、何よりもうれしいです。
決して裕福とはいえない環境の中、私の母は4人の子供を女手ひとつで一生懸命育ててくれました。母の座右の銘は「大変こそ『大』きく『変』わる時のチャンス」、私もその言葉を大切にしています。縁あって建築業界に飛び込み、21歳で独立しました。その後、人生のどん底を味わいました。自己破産寸前までいきましたし、自分が大切にしていたものも、支えてくれていた人たちも、何もかも失いました。途方に暮れて涙しましたし、もう無理だと思いました。しかし落ちるところまで落ちたからこそ、再び立ち上がることができたのかもしれません。どうすれば落ちるのか身をもって分かったので、学びになりました。全ては、自業自得だと。
今は、工務店の看板を掲げている以上、建築にかかわることならどんな依頼にも全力で応えるようにしています。小さな会社ですが、私が一生懸命やる姿を従業員たちに見てほしい。仕事するのもお酒を飲むのも寝るのも、やるからには全力でやるのが私のモットーです。会社を経営しているのは、仕事が大切だからというよりも、今いる仲間たちを手放したくないからかもしれません。従業員たちのことは本当に大切なので、元気がなかったりいつもと様子が違ったりするとどうしたの」と話しかけますし、たくさん話を聞きます。時にはけんかもすれば仲直りもします。まるで恋人のような存在です。
一時は破産の危機にあったこの会社が今も存続しているということには、何か意味があるはずです。関わってくれた人の人生を豊かにすることが、この会社の使命だと思っています。従業員たちには、もし会社がなくなったとしても独り立ちしてやっていけるぐらいの人間力をつけてあげたいと考えています。たとえば現場では、技術的なことよりも、あいさつや整理整頓のことを口うるさく言います。今は職人にもコミュニケーション能力が必要です。「職人気質」なんて今の時代に合いませんし、愛嬌があれば生き残っていける可能性は増えると思っております。男はナルシストであれ、そして臆病者で構いません。
一度どん底を乗り越えたことで、いろんなことに挑戦するようになりました。こんな私を選んでくれた方と巡り会えて新たな「きっかけをきっかけにする」ことができ、聖不動産を立ち上げることもできました。また東京にも支店を出しました。愛知との往復交通費や場所代など、予想以上にコストがかさみます。でも、立ち行かなくなれば畳んで愛知に帰ればいいだけです。まだ34歳ですし、帰る場所がある限り、どこにでも行っていろんなことに挑戦し続けたいと思います。
失敗したって、経験済みです。取り返しのつかない失敗になる前に潔く辞めます。誰も失いたくないですし、誰にも迷惑は絶対にかけません。そこからまた這い上がるだけです。子供の頃はぼろ屋暮らしでしたし、破産しかけた経験もあるので、何も怖くありません。しかし貧乏になるのは平気ですが、仲間を失って独りになることには耐えられないでしょう。従業員たちと長く一緒にいたいという気持ちが、私のモチベーションになっています。いずれ、マッサージ店や美容院の事業にも挑戦してみたいですね。福利厚生の一部として、店舗の無料チケットを従業員の家族にプレゼントすることが夢です。従業員だけではなく、その家族から「いい会社に入ったね」と感謝してもらえるような会社を目指しています。従業員とその家族の「ありがとう」が、お客様からの「ありがとう」につながっていくと思っています。
何をやるかではなく「誰とやるか」が大事です。ご縁のあったすべての人に「長谷川さんと会えて良かった」と思ってもらえるような付加価値を生み出していきたいと思います。従業員たちは、良い意味で私を利用してくれていますし、話も真剣に聞いてくれます。「この人は裏切らない」と私を信じてくれているはずです。彼らもいつか独立していくでしょう。将来、立派になって「聖工務店にいたから今の自分がある」と思ってもらえたら、これほどうれしいことはありません。
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