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伊達公子
1970年京都府生まれ。6歳でテニスをはじめ、高校3年生の時のインターハイでシングルス、ダブルス、団体の三冠を達成。卒業後、プロ転向。全豪、全仏、全英でベスト4に入るなど世界のトップで活躍。95年には自己最高の世界ランキング4位を記録するも、翌年26歳で現役を引退。08年、11年半のブランクを経て現役復帰。日本テニス界を牽引してきたが、17年に二度目の現役生活に終止符を打つ。
http://wowowtennisworld.jp/kimiko-date/
※本サイトに掲載している情報は2014年11月 取材時点のものです。

INTERVIEW

テニスコートに立っている間はずっと、今何をすべきか、相手がどんな状況かを考えながらプレイしなければいけません。判断が遅れると途端に不利な状況に陥ってしまいます。このスポーツは常に「選択」の連続。体力も精神力もタフであることを要求されるけれど、コートの中で「選択」という自己表現を存分にできる醍醐味もあると思います。私は動き続けていなきゃいけないタイプなんですが、動き続ける間も絶えず頭で考えさせてくれる。テニスはそういうものを与えてくれます。

プロ入り後に経験した孤独な日々

伊達公子

テニスとの出会いは小学校1年生の時でした。もともと体を動かすことが好きで、両親が通うテニスクラブについて行って見よう見まねでラケットを振り始めたのがきっかけです。ボールを打てることが楽しくて、すぐにのめり込みました。テニスだけは何時までやっていても怒られなかったし、コートは最高の遊び場でしたね。

高校では強豪の園田学園女子テニス部に入部しました。プロを目指し始めたのは2年生の時です。高校卒業後、プロ入りを果たすとツアーで世界を転々とする日々が続きました。20歳の時に四大大会で初のベスト16入りを果たし、その後も全米オープンベスト8、WTA世界ランキング4位と順調に結果は残しましたが、その頃は孤独感でいっぱいでしたね。アスリートにとって「強い」イメージは必要不可欠。コートを離れても強くいなければならないのは辛いものでした。当時は携帯やパソコンもなく、とにかく寂しかったです。ツアーも練習もトレーニングも好きだと思えず、テニス自体を楽しめなくなっていたんです。結局26歳の時に現役を引退。結婚し、全国で子供向けのテニスイベントを開催したりして過ごしました。

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テニスへの情熱がある限り

「もう一度コートに立ちたい」、そう思ったとき、引退から12年の月日が流れていました。現役を長く離れてみて、やっぱりテニスが好きだということに気づかされたんですよね。その時もう37歳でしたし、迷いもありました。でも、年齢にとらわれず、自分の気持ちに嘘をつかず、感じたままにチャレンジしようと決めたんです。あの時、突き進んだから今があるんだと思います。今もテニスを続けるのは、情熱がまだあるからです。

「覚悟」って、どんな時も自分に嘘をつかないことだと思いますよ。40歳を過ぎてもテニスに取りつかれているような感じです。練習もトレーニングも大好きなんです。20代の頃とは180度変わりましたね。

今は、大好きなテニスを自分の身体と相談しながら続けて、よりベストな状態で試合に臨むことを心がけています。一日一日が勝負です。いつけがなどで動けなくなるか分かりませんからね。ただ、何があってもテニスへの情熱が途切れることはないと思います。現役プレーヤーにこだわっている訳ではありません。もちろん勝負の世界という醍醐味は現役でしか味わうことができないけれど、テニスとのかかわり方はコートに立つことだけではありませんからね。どんな形であってもテニスへの情熱は死ぬまで持ち続けていたいです。

「かっこいい大人」って、夢を追い続ける人のことではないでしょうか。やりたいことや目標を常に持っていれば、軸のある人になれると思うんです。一本筋が通った生き方をしている人はかっこいいと思いますね。若い人たちには、臆することなく何事にもチャレンジしてほしいですね。人は何歳からでもチャレンジできます。

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